東城大学病院

□ちっちゃな田口の大冒険
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「やだなあ先輩、いつも他の棟の先生や看護士とコミュニケーション取ってる時間を削って今こうしてるんですから、結果労働時間はいつも通りですよ」
「黙れ給料泥棒」
「そんなことはいいから、それより、早く脱いで…分かりました、俺が脱がせてあげます!」
「何をどう分かったんだ!?こらっ離せ!」
片手で持ち上げられてジタバタ足掻く田口と、満面の笑みを浮かべて白衣を脱がそうとする兵藤を、若い母親達と看護士達がきゃあきゃあ色めき立って盛り上げる。
「…何をやってんだ?」
鶴の一声、というには低く太い、響く声。
しかし今の田口には正に救世主だった。
「常識人(しまづ)!常識人(しまづ)助けてくれ!」
「常識人と書いて島津と読むのは辞めろ。まあ、それだけでお前がどれだけ非常識に振り回されたかが汲み取れたよ」
田口は懸命に兵藤の手の中から島津に手を伸ばす。
「ダメです!いくら島津先生でも、田口先生は渡しません!」
暴れる田口を柔らかく抱き締めて、兵藤が島津を睨んだ。
ギャラリーから歓声。
「ば、馬鹿!お前、何言ってんだ!」
「島津先生だってあんな冷静沈着な顔してるけど、男ですからね!危険です!きっと田口先生を連れて行ってあんなことやこんなことするつもりです!」
「ば…!んなわけあるか!そんな腐った脳ミソ持ってるのはお前だけだ!」
「『お前だけだ』…『俺には、お前だけだ』…『俺を好きにしていいのは、お前だけ…」
「死ね!変な深読みするな!頼むからもう喋るな!」
ぎゃあぎゃあと大騒ぎする二人を、女性達は温かい眼差しで、島津は呆れきった目で眺めていた。
島津は溜め息をひとつ、隙をみて、田口をひょいと取り上げた。
「あっ」
スポッと、白衣の大きなポケットに納める。
「こいつは預かって行くぞ。兵藤先生のお仕事の邪魔になるようだからな」
「くっ!…島津先生、変なことしないで下さいよ」
「そんな趣味はないよ。兵藤が考えてるようなことはしないから安心しろ。(…元に戻るまでは)」
「なんか小声で聞き捨てならないことを!」
「幻聴だ」
兵藤に見向きもせず、島津はさっさと歩き去った。
「あーあ、お着替えさせたかったなあ」
「可愛かったわねえ」
陽気に騒ぐ女性達の中で、兵藤は一人臍を噛む思いで島津の背中を睨み付けていた。


島津はミルク用の小さな器に珈琲を注いで田口に渡した。それも少し大きい様で、両手で支えて飲んでいる。丼で珈琲を飲むような飲みづらさだろう。見下ろす側としては、どんぐりを抱え込む栗鼠を見ているようで微笑ましいのだが。
「原因に心当りは無いのか」
「全く。うたた寝して、目が覚めたらこうなってた。夢落ちなんじゃないかなと疑ってるんだけど」
「そういうこと言うな。にしても、どうしたもんかな」
「困ったよ。仕事が出来ない」
「…いや、お前の所なら出来るんじゃないか?看護士の負担が大きくなると思うが」
「…うん、出来るな。それより日常生活が出来ない」
「何とかなるんじゃないか?とりあえず当面うちで面倒見るから。焦ることはない。ゆっくり、元に戻る方法を探そう」
「島津…」
「じゃあ、ひとまず血液検査から行こうか」
「え」
「検査、しないと原因分からないだろ」
「う…」
冷や汗をかきながら後ずさる田口に、島津は口の端を微かに吊り上げた。



結局、検査は先伸ばしになった。小動物用の器具を田口に使うことに、安全性の面から考慮して島津が中止の判断をしたのだ。
適切な道具が準備出来るまで、延期だと言われて田口は目に見えてほっとしていた。


そして今、食事中。

「可愛いわねえ」
「あ、落とした」
「やっぱりフォークが大きくて使いにくいのね」
「でも可愛いわねえ」
「あ、袖がスープに付きそう」
「あら、また落とした」
「でもやっぱり可愛いわねえ」
「……………食べづらい」
人形用の玩具の食器を貸してくれた若い母親達に見下ろされながら、田口は島津が器用に用意してくれた遅い昼食を食べていた。
こんなに注目される食事は後にも先にも無いだろう。
しかも島津は田口を残して仕事に行ってしまった。仕方ないことなのだが、心もとない。
「田口先生食べ終わった?」
「おかわりは?」
「いえ、もう結構です」
「あら、たくさん食べなきゃ大きくなれませんよ」
「いや、確かに大きくはなりたいですが」
栄養摂取で解決する問題ではないだろう。
母親達が競って田口の世話を焼いている楽し気な声が廊下に響いていた。
「田口先生、うちにいらっしゃったらいいのに」
「あらずるい。うちにいらっしゃって下さいよ」
「あなたの所は猫がいるでしょう」
「危ないわ、田口先生が食べられちゃう」
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