東城大学病院

□嫉妬。
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速水は更に強い力で田口の両腕を押さえ込み
「お前次第では、手加減出来ないかもしれない」
と低い声で言った。
シャツのボタンが飛んで床に転がる音を聞いて田口は、どうやら持ち主が厄年だとシャツも不運に見舞われるらしい、と場違いに悠長なことを思う。自分を見据えていた強い視線が外れ、鎖骨に熱い刺激を受けて我に帰り、微力な足掻きを再開した。ジタバタと出来る限りで動きながら
「速水!離せ!」
などと呼び掛け続ける。
「…往生際が悪いぜ、行灯くん。大体、本気で抵抗してないだろう」
田口の動きが止まる。
「最大の防御は、攻撃だろ?いくらお前がどんくさくても、俺の顔面に一発入れるくらい出来るはずだ。…俺はお前を強姦しようとしてるんだぜ?傷付けないように気ぃ遣ってる場合か?」
田口が速水を見ている。言われて初めて自分でも気付いた、という顔だ。
「…全く…。ここまで親切に言ってやったんだからな…嫌なら、俺を殴り倒してでも逃げろ」
「…っ…速水!…んぅっ」
唇を奪われ、素肌を撫でられて田口は再び抵抗した。速水を殴り倒してでも、と考えるが、深く絡められる口内に血の味を感じて戦意を喪失する。
抵抗のなくなったのを感じて速水は唇を解放して田口を見た。シャツの前をはだけて、素肌は蛍光灯に白々と照らされている。良くみると胸元にも鬱血痕。鎖骨の軽い歯形は自分が付けたものだ。首筋に二つの鬱血痕が並ぶ。ぐったりとソファーに身を預け、力なく速水を見ている。
「……そんなに、嫌なのかよ…」
田口は無表情に、目に涙を浮かべていた。
「…ああ。嫌だ」
「…傷つくぜ」
口元を自嘲気味に歪めて速水は田口から離れた。田口がすり抜けるように立ち上げると、ソファーに座り直して、俯いた。
「20年越しの失恋だ」
「…嘘つけ」
「本当だ。…今更男にかっ拐われるなんてな。自分を騙し続けたのが馬鹿みたいだ」
呟く声は小さく空虚に響いた。
「柄じゃないな、速水」
見上げた昏い瞳に、田口は胸を痛めた。
「何がだ?失恋して落ち込んでいることがか?それとも20年も堪え忍ぶ片想いをしてたってことがか?」
「…両方だよ」
「…それくらい、大切だったんだよ」
そう言って将軍は力なく微笑った。
こんな場面にどんな言葉なら相応しいのか分からず、田口は黙って視線を返した。
「…速水」
呼んでみたけれどそれに続く言葉は無くて。二人を包む沈黙は昏く重く、しかしその中で二人は痛みを共有して何処か支えあっていた。
「田口」
珍しく渾名ではない名を呼ばれて田口は少し戸惑う。
「何?」
「もう少しだけ、ここに居させてくれるか?」
「…ああ」
応える柔らかい声に、速水は頬を弛めた。田口は一瞬躊躇ったが、速水の隣に腰を下ろした。
「…それにしても、さっきのはきつかったなあ。行灯のクセに言うときゃ言うんだもんな。…嫌われたもんだ」
「…嫌いなわけじゃないよ。なあ、速水」
速水が視線を送ると、田口は目を伏せて慎重に言葉を選んで言った。
「…ああいうことを出来るのは、本当に好きな相手か、そうでなかったら…どうでもいい相手だと思う」
「…それは」
「親兄弟とは出来ないのと同じくらい、お前とは出来ないよ」
暫く、速水は言葉を無くして田口を見つめていた。田口もその視線から逃げずに見つめ返した。
「…っとに、お前は…」
ため息と共に
「せっかく諦め着きそうだったのに、余計惚れちまうようなこと言うなよ…」
苦笑いで呟いた。田口は少し困ったような、申し訳なさそうな顔になる。思わず、その肩を抱き寄せた。少しだけビクッと警戒したが、速水の柔らかい表情に緊張を解いて大人しく腕に納まる。
「…今だけ…」
速水の弱い声に、「らしくない」とからかうこともしないで、ただ、頷いた。
もしかしたら速水は泣いていたかもしれない、田口は思ったけれど確かめることはしなかった。
窓からオレンジ色の光が消えるまで、二人はただ体温を分かち合っていた。

end.
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