節操無し書架

□バドミントンと助教授と生足
1ページ/2ページ

「おい、どうしたっていうんだ一体?」
戸惑いを通り越してうんざりした声で、湯川は前を歩く草薙に話し掛けた。ただ前を歩いているのではない。草薙は湯川の腕を掴み、まるで犯人を連行するように厳しい顔付きで大学の廊下を歩いている。すれ違った学生が不審そうに振り返った。返事をしない草薙に、苛立ちと呆れを隠さずに言った。「君の思考はさっぱり読めない」
草薙が大学の体育館にやって来たのは十分程前だった。湯川は学生相手にバドミントンをしていた。現役バドミントン部員の学生に、近差で破れ、若くないなと苦笑いを浮かべてコートの傍らで脚を投げ出すように座った所に、学生が歩み寄って湯川の耳に口を寄せて「約束ですよ、先生。今夜付き合って下さいね」と言った。湯川は苦笑いのまま、首肯した。
その直後。草薙が突如として湯川の腕を掴み、強引に体育館から連れ出したのだ。
「約束って何だ?」
「?…ああ、さっきの。大した話じゃないよ。僕が勝てば彼は無償で僕の書庫の整理をする。彼が勝てば僕が今夜夕食をおごる」
「今夜付き合って下さいと言った。おごって下さいではなく。彼奴の目的は飯じゃないんじゃないか?」
「じゃあ何だって言うんだ?彼がただ飯よりも中年男とのデートを楽しみにしている変わり者だとでも言うのか?」
「…おまえは分かってない」
「何を?」
研究室に着いた。訝む湯川を押し込む様に中に入れると、草薙は直ぐにドアを閉めた。湯川の姿を改めて見て、ため息をつく。
「…目の毒だ」
湯川は白いラインの入った水色のスポーツウェアに身を包んでいる。問題は、ショートパンツから伸びた生足。普通なら、四十間近の男の生足等、見たくない物の上位に挙げられるものであろう。
しかし。
細身のしなやかな筋肉がバランス良く着いた脚は、白くなめらかで、目を奪う力を持つ。ついでに言うなら、ポロシャツのはだけた胸元も、白い項も、何もかもが薫り立つ色気を孕んでいる。
「あまり、肌を出すな」
「体育館は蒸すんだ。第一、何故君にそんな指図をされないといけないのか、さっぱりわからない」
「………」
本当に分かってないのか?草薙は改めて不思議に思う。この並外れて優れた頭脳を持つ友人が、自分に向けられる感情についてのみこんなにも鈍感なのはどうしたことだろう。
思えば学生の頃からそうだった。男である自分が男の欲情の対象になるなど思いもよらないのであろう。確かに、生物学的に不自然なことだ。
ふと、手首の赤い跡が目に入る。
「…悪かったな」
「?…ああ、これか。まったく、バカ力で握るから」
それは白い肌に、酷く鮮やかに映っていた。「すまない」
急にしおらしくなった草薙に不安を覚えたのか、湯川が歩を詰めた。
「君、今日は様子が変だぞ。何かあったのか?」
至近距離で、少しだけ見上げる形で草薙の顔を覗き込む。
さっきまでスポーツをしていた中年の男であるはずなのに、微かに芳香すら漂っている。ポロシャツから覗く、首筋から鎖骨のラインが艶を帯びている。
これは、危険だ。
草薙は動揺を抑えこむように目を閉じた。
草薙は動揺を抑えこむように目を閉じた。
「草薙?」
その肩に、手を置いた。押し返して、「何でもない」と告げるべきだと分かっている。けれど。引き寄せて、抱き締めたい。唇に、頬に、耳に、首筋に、口付けたい。体温を腕の中に感じたい。驚いて逃げようとする身を更にきつく抱いて、白い首筋に情欲の証を紅く残して、唇を深く深く味わって。
「おい、草薙」
「…悪い」
その肩を、押し返した。触れていた指から甘い痺れが全身に廻る。離した瞬間、すうっと虚無が通った。
着替えを体育館の更衣室に置きっぱなしだからと、湯川は部屋を出て行った。
先に歩く後ろ姿を眺めながら、廊下を歩く。人の気配のない廊下で、二人の足音が響く。ゆっくりの歩調がぴったり合っているこの感じが、何故か愛しい。早まらなくて良かったと、自分の理性を誉めた。
突然、湯川が歩を止めた。
「…どうした?湯川」「明日の朝は早いのか?」
「まあ、いつもと同じだが」
「そうか…いや、やっぱりいい。気にしないでくれ」
そして早足で歩き出す。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ