東城大学病院

□拍手その一
1ページ/1ページ

田口は珍しく、自宅に有りながら緊張していた。
今、田口のアパートの台所には信じられないことに、あの桐生恭一がエプロン姿で立っている。その姿は高級レストランのベテランウェイターさながらの気品があるが、ただ、野菜を切る包丁扱いの度を超えた繊細さや、調味料を測る際の必要以上の正確さに、ただならぬ緊張感が漂っているのだ。
「…あの、何か、お手伝いすることは…」
タイミングを見計らって恐る恐る訊ねた田口に、
「大丈夫ですよ、田口先生はのんびり座って待っていらして下さい」
と満点の笑顔で答える。こうなると、これ以上は何も言えない。


次第に美味しそうな香りが鼻をくすぐりはじめて、田口は少し安堵する。桐生の隣に立ち、
「美味しそうですね」
と言うと、先程の笑顔が満点なら此は何点と付けたら良いのかというくらいの素晴らしい笑顔を返してくれた。思わず見惚れた田口に、桐生が不意打ちのキスをした。
突然のことに驚いて照れた田口を抱き寄せ、改めて深いキスをする。
やがて田口を解放した桐生は、悔しいほど爽やかに
「前菜、頂きました」と言ってのけた。
「…こちらこそ」
恥ずかしそうに小さく呟いた田口にクスッと微笑って、桐生は配膳にかかった。


…このキスが前菜なんて言ったら、メインディッシュのハードル上がりますよ!
田口は心中呟いて、桐生の後を追って食卓に向かった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ