東城大学病院

□My Sweet Lair
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【My Sweet Lair】

今夜は雪になるでしょう。

カーラジオからそう告げたアナウンサーの声は心なしか楽し気だった。
「雪…」
田口は小さく呟いて、フロントガラス越しの空に目を向ける。少し雲が厚い。
車が動けなくなる程積らなければ良いのだが。

桐生の出張先は東京で行われる、とあるシンポジウムだと聞いた。東京から桜宮までは近くは無いので中間地点くらいで逢うのはどうかと提案したところ、この日の桐生の仕事は昼過ぎに終わるので桜宮まで行くという返事だった。

夕方。
田口は待ち合わせていた駅で桐生の姿を見付けた。
黒いコートがよく似合う。
一日の仕事を終えた男女が疲れた顔でそれでも足早に行き交う中、真っ直ぐに立つその姿は場違いな程凛々しかった。
思わず見惚れて、田口は雑踏の中に足を止めた。
後ろを早足で歩いていた若いビジネスマンが勢い良く背中にぶつかった。
「うわ」
「あ、すみません、大丈夫ですか」
よろけた田口をビジネスマンがとっさに支えた。
「いえ、こちらこそすみません、ぼーっとしてて」
慌てて体勢を整え、深々と礼をする田口の横に、静かに桐生が立った。

夕食は何を食べたいですか?と訊いた田口に、桐生は一瞬迷って、和食と答えた。
落ち着いた居酒屋で魚料理を食べて、コンビニで酒とツマミと朝食を買って田口のアパートへ。
「すみません、あまり掃除が行き届いてないんです」
実はクリスマスに予定外のパーティーが行われた後に島津が綺麗に片付けて帰った、そのままの状態だ。今夜と翌日に桐生と過ごす時間の為に仕事を調整したので、家事に手が回らなかったのだ。
「充分綺麗ですよ。…コタツ、良いですね」
「向こうでは、やっぱりコタツなんてありませんか?」
買って来た物を整理して、日本酒とぐい飲みをコタツに並べる。
「珍しいですよ。うちにはありません」
ゆっくりと暖まっていくコタツに入りながら、田口の定位置から角を挟んで隣に置いた座布団を桐生に勧める。
桐生はその位置には腰を下ろさず、田口にぴったりくっついて隣に座った。
少し驚いて、照れたように俯く田口の顔を、桐生は愛しそうに目を細めて見詰めた。
「な、何ですか?桐生先生」
「何でもありませんよ。ただ、本当は、会った瞬間からこうしたかった」
そう言って、田口を優しく抱き締めた。
微かな煙草の匂いに、桐生を実感して、田口は目を閉じて抱き返す。
「笑い飛ばしてくれると助かるのですが」
桐生はそんな前置きをして
「さっき、夕食に何が食べたいかと訊かれた時、本気で『田口先生』と答えそうでした」
と耳元で話した。
田口は思わず吹き出して、その後徐々に赤面した。
微笑んだ桐生は極自然に唇を重ねて、髪を指に絡めた。脂気の無い柔らかい髪が、冬の乾燥のせいか少し傷んでいる。
髪を撫でられて心地良さそうに、それでもまだ照れくさそうにされるがままになっている田口に目を細めながら、
「田口先生が思っているよりも多分、私は嫉妬深いですよ」
脈絡無く呟いた。田口は驚いて桐生を見た。
「さっき、駅で。年甲斐もなく嫉妬してしまいました」
田口は一瞬何のことか分からなかった。考えてやっと、立ち止まったところにぶつかった若いビジネスマンを思い出した。
桐生がそんなことで妬くとは、意外だった。
嫉妬の告白の後、目を伏せた桐生を眼前にして、田口の胸が熱くなった。
抑えきれない愛しさに任せて、桐生をギュッと抱き締めた。
「田口先生?」
「あの時実は、桐生先生の姿に見惚れて立ち止まってしまったんだって言ったら、どうします?」
「…嬉しくて、このままあなたを抱いてしまいます」
田口が微かに笑った吐息が、桐生の耳を掠めた。
「本当は私も、夕食よりも欲しいものがあったんです。…恭一さん」
簡単に灯された火は一瞬で燃え上がり、桐生は田口をきつく抱き締めて、白い首筋に歯を立てた。
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