東城大学病院

□嫉妬。
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いつも通り、藤原看護師がジャスト定時に退出した後、田口は僅かに残った雑用を片付けていた。一段落ついて伸びをした時、ノックの音を聞いた。
「はい」
訪問者は、同期の速水だった。
「よう行灯くん。ちょっと、いいか?」
「ああ、そりゃいいけど…珍しいな」
二人掛けのソファーに腰を降ろし、速水は躊躇いがちに口を開いた。
「お前さ、昨日の夜何してた?」
一瞬、返答に詰まる。
「…遠方の知人が来てたんで、飲みに出てたよ」
「桐生先生か?」
予想外の豪速球。
「どうしてそれを」
「兵藤が触れ回ってたぜ。誰かが目撃したらしい。二人でホテルに入って行ったってよ」
「…気持ち悪い言い方するなよ。ただのシティホテルだぜ。桐生先生が泊まってる部屋で飲み直しただけだ」
「何で隠してたんだよ」
感情を圧し殺したような速水の声に、田口は戸惑いを隠せず
「別に隠してたわけじゃない。わざわざ言うことでもないだろう」
と返す。気まずい沈黙が流れる。ため息一つと共に田口が立ち上がり、速水の前に立つ。
「なあ、一体どうしたって言うんだ」
速水は顔を上げて旧友の顔を見詰める。『グッチーって良く見たら実はカッコイイよね』とナースに評価される、歪みの無い優しい顔。
「首の後ろ」
速水が口にした短い言葉に、田口が怪訝そうな顔をする。
「右耳の下の辺りだ」
言われた位置に指を当ててみる。
「鬱血痕…キスマークのように見える」
田口が息を飲む。
「冗談だろ」
「合わせ鏡でもなければ自分で見えない位置だな。一日中無防備に晒して歩いていたわけだ。目敏い看護師が噂していたぞ」
「…虫さされか何かだ」
「医者相手に誤魔化せると思ってるのか?」
追い詰められて、田口はため息を吐く。
「昨夜お前は桐生先生と一緒だった。今朝からお前の首にあからさまなキスマークがある。この二つの情報が導き出す事実は何だ?」
「…羽目を外した俺と桐生先生が風俗の呼び込みに付いて行った、とかかな」
「俺や島津ならそっちがしっくり来るかもしれない。だけど不思議だな、行灯」
速水が突然立ち上がった。顔が近い。パーソナルスペースを侵略されて反射的に距離を取ろうとする田口の双肩を掴み、顔を覗き込みながら
「女に首に吸い付かれてでれでれしてるお前より、桐生先生に抱かれて喘いでるお前の方が容易に想像出来るんだよ」
「何…!」
絶句する田口を強引に抱き寄せ、右耳の下…紅い跡に唇を寄せた。首筋に当てられた熱い感触に、田口が身を強張らせる。次の瞬間、そこに強い刺激が走った。
「…っあ!」
速水の腕の中の躰が一瞬激しく震え、甘い声が耳を掠めた。理性の切れる音が聞こえる。柔らかい髪を乱暴に掴み、逃げようとする唇に噛み付くようなキスをした。田口は抗い続けるが、構わず舌を差し込み、深く深く貪る。舌に鋭い痛みが走り、唇を離した。咬まれたようだ。血の味が広がる。
「痛ぇ…」
「…自業自得だ」
微かに潤んだ目で睨み付けられ、素直に
「そうだな」
と答えた。
「でもなぁ」
付け加えて、再び田口をきつく抱き締め、耳を甘く噛んで
「そうさせたのはお前だ」
と囁いた。言葉と唇で耳を擽ると、田口は速水の胸を押し返そうと腕に力を込める。耳元から全身に甘い痺れが広がるのを堪えて抗う。
「…っ…も、頼むから止めてくれ…速水」
抑えて掠れた声で懇願されて、速水の征服欲は火に油を注いだが如く燃え上がる。
「…誘ってんのか?」
「馬鹿っ…ッア!」
柔らかい肌を再びきつく吸われ、抑えきれず甘い声を上げた。先程とは違う箇所。紅い跡が二つになってしまった。
「速水、本当に…コレ以上は、洒落にならな…」
「洒落にするつもりは毛頭ねえよ。…行灯くんは本当に何も分かっちゃいないな」
田口の瞳に隠しきれない怯えの色が浮かぶのを見て、速水の胸が少し痛んだ。
「何でこんなことするんだ、とでも言いたそうだな…お前には、分からないさ」
この胸のどす黒く凝り固まった感情など、透明に流れ続ける清流の様な田口に分かるはずがない。抱く腕に力を込める。壊してしまいそうな程に。
「速水…?」
それでもその小さな声には、自分が傷付けられることへの怯えよりも色濃く、速水を心配する気持ちが滲んでいた。
「…随分余裕じゃないか、行灯」
「え?」
田口が速水の昏い瞳に見入った一瞬後。視界が揺れて背中と後頭部に衝撃が走った。痛みに思わず目を瞑る。
「痛…」
「悪いな。痛い思いをさせるつもりはないんだが…」
目を開けると、至近距離に精悍な`将軍´の顔。ソファーに押さえ付けられていることに気付き、田口が逃げ出そうと足掻く。
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