東城大学病院

□ズルいひと。
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まさか、実現するとは思わなかった。無制限一本勝負。田口にとって予想外だったのは、桐生の酒癖の悪さだった…。
「桐生先生、着きましたよ!」
驚くべきことに桐生は、田口と差し向かいで呑むためだけに休暇を調整して日本に飛んで来たのだ。シティホテルのスウィートを一泊で取って、明日の午後にはまた米国へ発つ。酔い潰れた桐生を置いて帰る訳にもいかず、自分の小汚ない下宿に連れて帰るのも躊躇われ、途方にくれていた所に桐生が鍵を差し出した。それが、この部屋の鍵だった。
「すみません…田口先生、ご迷惑を…」
とりあえずソファーに腰を降ろさせ、上着を預かる。
「いえ、だらしない桐生先生を拝見出来たのは収穫ですよ」
「お酒、強いんですね。いや、そんなに呑んでないからか…話させるのと同じくらい、呑ませるのもお上手だ」
「…話すつもりのない相手に幾ら勧めても話してはくれないように、呑むつもりのない相手には呑ませることは出来ませんよ。先生、今夜は酔いたかったんでしょう?」
冷蔵庫から出した水をグラスに注いで渡す。
「…全く、田口先生には敵いませんね」
水を一気に飲み干し、グラスをテーブルに置いた。それを片付けようとして伸ばされた田口の手を、桐生が掴む。
「…桐生先生?」
「細いですね」
確かに、成人男性の平均より幾らか細いかもしれない。けれど痩せすぎということはない手首。
「田口先生、何故私が酔いたかったか、分かりますか?」
見上げてそう問う顔は、酔っ払いの癖に端正で、これぞ男の色気という手本の様な顔だった。
「…それは、分かりませんね」
言い終わるか終らないかの内に、田口の視界が反転した。反射的に閉じた目を数秒後に開けた時、目にしたものは真剣な顔で自分を見つめる桐生のアップ。腕を引いて強引にソファーに押し倒されたのだと理解して、初めて田口の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
「…田口先生、逃げた方がいいですよ」
更に戸惑わせる言葉を間近に囁く声に熱い息が混じる。
「私が何をしようとしているか、分かるでしょう?逃げて下さい。私を押し退けて、振り向かずに家に帰り、二度と私のことなど思い出さないで下さい」
それからどのくらいの時間、見合っていただろう。無言で居続ける田口に根負けしたように、桐生が再び口を開く。
「逃げないのですか」
組強いたまま、指先で頬に触れる。大きな手で包むように頬と顎の線を辿り、指が薄い唇に触れた。微かに息を詰め肩を強張らせた田口の反応が、桐生の理性の糸を断ち切った。
荒々しく抱き締めて、耳に唇を寄せる。反射的にその胸板を押し返そうとした田口の手をソファに押し付け、緩んでいたネクタイを一気に抜き取った。
「桐生先生っ!」
「今更、抵抗するんですか?」
田口が何か言おうとしたが、それよりも早く唇を奪う。深く激しく、彼の骨の髄まで全て味わい尽くすような、貪欲なキスを。
「…っ…ンゥッ…ハァ」
苦しそうな呼吸の合間に漏れ聞こえる鼻に掛かった声が、桐生の熱を更に煽る。
シャツに手をかけ、乱暴に引き剥がしたらボタンが数個音を立てて飛んだ。
「!先生…」
白い肌が露になる。薄い胸板、細く浮き上がった鎖骨、色素の薄い乳首。紛うことなき男の裸だ。確認するまでもない。けれど…。

こんなに欲情したことがかつてあっただろうか。

しかし桐生はその肌に触れることなく、組強いた田口を唯見ていた。胸元ははだけ髪も乱れて、顔は紅潮して呼吸は乱れ、それでも目はしっかりと桐生を見つめ返している。桐生にはその真意が見えない。
「…何か言って下さい…」
桐生のこんなに情けない声を聞いたことのある人間がどれ程いるだろうか。
「…そんな顔をしないで下さい。私が苛めたみたいじゃないですか」
組み敷かれているのは田口なのに、申し訳なさそうに言って手を伸ばし桐生の頬に触れた。
「すみません」
「どうして田口先生が謝るんですか。どう考えても謝るべきは私でしょう」
戸惑う桐生に、田口は優しい微笑みを送って、不意に抱き寄せた。突然のことに桐生は戸惑いを深める。田口はその体の重みを愛しむように肩に埋まる頭を撫でた。
「ズルいことを考えました。先生がこのまま強引に抱いてくれたら、私は只の被害者に過ぎないと自分に言い訳出来るから。いい年した男のくせに、男に、しかも妻帯者に望んで抱かれたなんてことを認めずに済みから。…罪を、先生一人に着せようとしていた」
その言葉を理解するのに少し時間を要した。そんなに都合の良い展開があるものか、自惚れが生んだ幻聴ではないのかと頭が否定する。
口を閉ざした桐生にすがるように、細い両腕が覆い被さる身体をぎゅっと抱いた。田口の想いが、触れている部分から血に乗って全身に巡る。甘い痺れを感じて、桐生も田口をきつく抱き締めた。
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