魔人探偵

□この感情の名前を教えて下さい。
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「ネウロ、笹塚さんにだけ正体明かした後も猫被ってるよね」
「だよな。慣れた態度切り替えるのが面倒とか言ってるけど、そんな玉か?なんか嘘くせー」
「もしかして、笹塚さんのこと怖いのかな?」
「はっ、あの化物が?有り得ねえ」
「でもそうじゃないなら、何なんだろう」
「知るかよ。化物の思考回路なんか俺らに分かるわけねーよ」


「…と、いうような会話を下僕…先生と吾代さんがしていたのです」
「そう。で、それと、今の俺の状態とがどう関係してくんの?」
平常と変わらぬ淡々とした口調で訊ねる笹塚だが、その姿は常ならぬ事態に陥っていた。
魔界探偵事務所。ここに取り付けられた数多の拘束具の一つ、天井から降りた鎖に付いた革ベルトで両の手を束ねて繋がれ、そのまま上に少し引き上げられて、爪先立ちで身体を支えている。
常人なら慌てるなり怯えるなりの動揺を見せる場面であろう。
「それをきっかけに、僕も考えたんです。何故か僕は笹塚刑事には下僕達にするような扱いをする気にならない。何故でしょう?謎です。とりあえず試しに下僕達と同じ様に扱ってみたら何か見えてくるかも知れない、と思ったので」
「あんた、弥子ちゃんにこんなことしてるのか?」
笹塚が微かに声を強張らせた。
「…おや、何か問題が?」
「当然あるだろ」
「倫理的に?警官の立場から?…似合いませんねえ」
言いながらネウロは笹塚の髪を指に絡めた。サラサラと柔らかい感触に目を細める。
「似合うとか似合わないとか、そういう問題じゃ…ッ!」
ビッと音を立てて、笹塚のワイシャツが引き裂かれた。ボタンが飛び、床を転がる。
「不愉快ですね」
「なに…痛!」
髪を乱暴に掴んで顔を上げさせられる。爪先立ちの自分よりまだ上の位置にあるネウロの目と、視線がぶつかる。
「ネウロ…?」
「自分の気持が分からない、と人間が言っているのを聞いたことがあります。なんと愚かな、とその時は思いました。まさか、自分にそんな状況が訪れるとは…。」
ネウロの目の奥の揺らぎを垣間見て、笹塚の警戒心が薄れた。
「…そんな難しいモンでもないんじゃない?」
「笹塚刑事、あなたには分かるのですか」
「単純に、アンタ弥子ちゃんのこと好きなんだろ?だから俺が弥子ちゃんに関わったり兄貴面すんのが気に入らないだけなんじゃないか?」
「…『好き』?」
魔人は整った顔を訝しげに歪める。
「ああ、そういう感情がそもそも分かんないわけね。…俺もそんなに詳しいわけじゃないけどさ。恋愛感情ってこと」
「我輩が、弥子に?」
動揺したのか、話し方を作るのを忘れて呟く。が、すぐに作り笑顔を取り戻して
「面白い冗談をおっしゃいますね、笹塚刑事」
と、至近距離で言った。
「僕でも、知識としては恋愛という物を知っていますよ。地上に馴染む為に、この国で刊行されている書籍の主だった物には一通り目を通しましたからね。心理学の専門書から、タレント作家の恋愛エッセイまで。知識の上ではどの人間より恋愛を知っているとも言えます。
笹塚刑事、恋愛感情というのは一般に、性欲を内包するものでしょう?」
何かを企む猫科の猛獣の眼で、ネウロは笹塚の瞳を覗き込んだ。笹塚の背筋に、ゾクッと震えが走った。
「さあ、俺はよく知らないけど」
「基礎ですよ」
少し、笑う。
「ところで、笹塚刑事」
大きな手が、笹塚の頬に触れる。笹塚の身体に緊張が走った。其を見て唇の端を吊り上げ、その長い指で顎から首へと白い肌をゆっくりと辿る。
「その姿、とても扇情的ですね」
破れたシャツの中に忍び込んだ手が、胸元の突起を弾いた。
「あっ…!」
予期せず与えられた刺激に、思わず上擦った声を漏らし、笹塚は唇を噛んだ。
「…何な訳?アンタ…」
「…成る程」
「え?」
「笹塚刑事。どうやら僕は貴方に性欲を覚えています」
悪い冗談でからかわれているように感じて、笹塚は眉をひそめた。
「は?」
「此は、恋でしょうか?」
獲物を仕留める直前の獣の目をして、恋愛映画の様な台詞を吐く。
「…用が無いなら帰りたいんだけど」
魔人は其を聞いて少し笑う。
「貴方は誘うのが上手ですね」
首筋に、顔を埋めた。
「…ッ…頭、おかしいんじゃ…んんっ」
口を手で塞がれ、笹塚は息を詰めた。
「貴方を抱きたいと思うのですが…嫌ですか?」
息のかかりそうな至近距離で、大きな目が問い掛ける。
口を解放されて、笹塚は大きく呼吸をした。そして一度ネウロを睨み、…目を伏せて溜め息をこぼし、呟いた。
「…好きにしたら?」
ネウロを相手に抵抗したところで無駄な足掻きだと分かっている。
そんな笹塚の心中を知り尽くしている様に、ネウロはニヤリと笑い、
「賢明ですね。貴方のそんなところ、好きですよ」
と耳元で囁いた。
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