小説(忍たま)

□毒深し
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「初めまして。今日から忍術学園に編入させていただきます、土井半助です」
「…山田伝蔵だ。そうか、半助というか」
「…何か?」
「いや、担当の者が後から来る。暫く待ちなさい」

最初は何を企んでいるのかと危ぶんでいた。いっそ人知れずに始末すべきではないか、とすら。

「山田先生、あの子は生徒じゃよ」
「は、しかし…」
「よう見ててやんなさい」

言われずとも見張るつもりであった。悲鳴すら生まれぬ、炎に隔絶された光景は未だに目に焼きついている。




某城の動向を探ってくること。単独で行うには難しい任務であったが、長年の経験は伊達ではない。伝蔵は危うげのない足取りで城に忍び込み、軍事の間と壁一枚隔てた隠し戸に潜んでいた。
壁に耳を当て、情報を頭に叩き込んでいく。ちょうど今後の方針を固めるべく、軍議のために人が集まっていたようだ。これは好都合、とばかりに息を殺して注意深く人の声を探っていた。と、その時ふと伝蔵は違和感に首を傾げた。忍者の勘、とでも言おうか、なかなかこれが侮れない。伝蔵は素早く鼻と口を覆い、身を低くして今まで以上に周囲を注意深く探った。壁の一枚向こう側は誰も何の変化も感じられぬようで、変わらずにああでもないこうでもないと話し合いが行われている。
違和感とやらはすぐに明らかになった。パチパチと物が爆ぜる音とじわりじわり充満してくる黒い煙。暫しの間を置いて、城内は一気に騒然となった。
どうやら伝蔵のほかにも城に忍び込んだ不埒者が居たようだ。目的は存ぜぬが余計なことを、と舌打ちをひとつして、伝蔵はその場を後にした。何にせよ情報は既にあらかた掴んでいる。となれば長居は無用、この混乱に乗じて逃れてしまえばいい。

脱出口への道すがら、伝蔵はあちこちで巧妙に隠された火薬を見つけていた。簡易な発火装置に連なる伝火の複雑さ。伝蔵は今の状況も忘れて感嘆の吐息を漏らした。
(曲者は、若しや城落しが目的やも知れん…)
だが、まだまだ甘い。伝蔵は火薬の配合の荒さに笑った。上火の仕掛けを見る限り相当な手練がいるのは間違いないだろう。だが上が居れば下も居る。若い忍びでもいるのだろうか、と思いを馳せていれば人の気配がこちらに来ることに気付く。素早く身を隠した。

「曲者がいた!こっちだ!」
「たった一人だ、一気に捕まえてしまえ!」
「火の始末は下男にでもやらせておけ、まずはひっ捕らえるんだ!」

おや、と思う。まさかあの仕掛けを施したのが一人とは思わなかった。否、ただの囮やも知れぬが、もし一人というのならさぞや腕の良い忍者なのだろう。こんな所で捕まるのは少し惜しい。だからと言って伝蔵がわざわざ助けてやる義理はなし、悪いが逃げるなら今が絶好のチャンスなのだ。そのまま足を進めた。

「ぐ…!な、に…!?」
「か、体が…ッ」
(!?)
火消しに走り回っていたはずの男たちが皆顔の色を変えて倒れ伏せている光景に、伝蔵は思わず足を止めた。
(毒か!)
いち早く状況を理解した伝蔵は布を湿らせて覆面の上に宛がう。用心を重ねるに越したことはない。しかし毒というものは厄介で、生憎伝蔵はそちら方面に明るい方ではない。これは一刻の猶予もないと見るべきだ、すぐさま逃げねば。
伝蔵は、しかし数歩進んで振り返った。男も女もない。ある者は泡を噴いて、ある者は動けぬままに火に呑まれて死んでいく。
(あまりに惨い…)
伝蔵は目を閉じ、その光景に背を向けた。

確かに上手いやり方ではあるのだ。小火騒ぎを起こして人を集め、その火の中に毒を投げ込めば、集めた人間を一網打尽に出来る。そしてその間にも火は伝火で着々とその範囲を広げていく。
(それに…)
伝蔵はちらりと傍らに仕掛けられた発火装置を見た。
脱出ポイントには尽くこれが仕掛けられていた。火薬の中には毒薬も含まれているのだろう、黒い煙を吸い込んだものは顔を蒼くして蹲ってしまった。
仕掛けた者の、何人たりとも生きては返さぬという念が透けて見えるようであった。現に今、この城で火と毒煙に巻かれ生きているものは居らぬだろう。伝蔵とて鼻と口を覆っているのにも関わらず、手の力が徐々に抜けていくようなのだ。
「!!」
身を返して隠し戸に忍ぶ。人の近づいてくる気配がしたのだ。
本当は忍ぶことも止めて遮二無二駆け出し、この城から逃げ出したかったのだが、この毒煙の中、こうまでも落ち着いた足取りで動くものがあるとすればそれは間違いなく毒を操る本人しかいない。伝蔵は必死に息を止めて来訪者を探った。

「あれ、たしかに気配がしたんだけど…」
(!?)
気配を乱さずに済んだのは僥倖だった。伝蔵はこれまでになく仰天していたのだから。
毒煙の中、面も付けずに平然と歩いてきたのはまだ幼い少年であった。ひょっとせずとも学園の教え子よりも幼いような。
しかしここで将来有望だと微笑む余裕など無い。すでに手の力は半分も出せぬであろうほど痺れている。これで城壁を登るのは難しいな、と冷や汗を流しながら考えた。

「……気配はないし、もう死んじゃったのかなぁ」
さらりとそんな事をのたまう表情は変わらず無邪気で、伝蔵は悲しくなった。息子より5つ程しか違わないような幼子がこれほどまでに歪んでいる。世はここまで乱れたか、と。
いずれこの子供は伝蔵の脅威として成長するだろう。その前に始末すべきか、この子が成長しきる前に。
つらつらとそんな事を考えるうちに子供は忽然と姿を消していた。探っても、燃え盛る火と死体しかその場には残されていない。
伝蔵は目を閉じて、その場を駆けた。すでに城は落ち、伝蔵の手に入れた情報はまるで意味を成さぬものとなってしまった。




「あれは苦労しただけに腹が立ったもんだ…」
「は?何だって?」
「ああ、いや」

聞き返してきたのは5年い組の石川五十ヱ門。担任のクラスではないが、その抜きん出た実力を持て余してか、ちょくちょく自分の所にちょっかいをかけてくる生徒だった。

「それで、今日はどうした」
「そう!聞いてくれよ、土井の奴今まで団子食ったことねぇって!」
「石川!」
「世間知らずもそこまでいくと逆にすげぇぞ」
「うぅ…」

そしていつしか石川と共によくやってくるようになった生徒が一人。
記憶よりは大分大きくなったが、表情は変わらず幼く乏しい。だが少しずつ、その乏しい表情に変化が現れているのがはっきりと分かる。

「…石川、今度本物を食べさせてやれ。その様子じゃ汁粉もあんみつも知らなそうだ」
「え、と…薬品の名前ですか…?」
「うわー…人生損しすぎだろ……よっし、そうと決まれば善は急げだ!食堂行こうぜ!」
「え?ちょ、ちょっと待て石川!ああもう、相変わらずせっかちな…」

バタバタと挨拶もせずに走っていく石川と、一応きちんと礼をとって、慌ててその後を追う土井を見送り、伝蔵は堪え切れなかった笑いを漏らした。
歪みは決してなかったことになどできはしない、あの炎の中、無表情に死体を見つめた幼子は死んだわけではないのだから。しかし捩じれた鉄とて、熱いうちに打ち直せばそれなりに真っ直ぐになるものだ。

「それも、打ち直すための槌があってこそだが」

伝蔵はぽつりとそう呟いて、文机に向かった。今年度の卒業生の就職リストだ。
世は相も変わらず戦が横行し忍の需要は増えるばかりで、大人はその需要を利用しながらも勝手に憂う。腐った世の中だ。それでも、あの子の表情が増えることにどことなく救われたような心地がして、伝蔵はもう一度忍び笑った。
 

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