精煉の道

□小さなディオンと《蒼い鷹》2
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ディオンが、ヴァレン博士の傍迷惑な実験のせいで幼児化して、すでに一週間が経過した。


一向に元に戻る気配のないディオンを見て、《蒼い鷹》は改めてヴァレン博士のすごさを知った。








一週間の間、ディオンは片時もキースから離れたがらなかった。


それこそ、食事のときも仕事の時も、ついでにいうなら風呂の時も。


ディオンは一日中、キースにべったりだったのだ。


アッシュには、食事の時など食堂で会うと駆け寄って甘えるが、キースが立ち上がるとすぐにキースの元に駆け戻ってしまうし。


最初こそ、キースも一日中べったりのディオンの対処に困ったが、今ではもう慣れてしまっていた。


一週間の間に、ディオンを風呂に入れて洗ってやるのもそれなりに上手くなった。


アッシュは、キースといて嬉しそうなディオンを見て、とても優しい笑みを浮かべていた。






「……なんか、別に《蒼い鷹》総出じゃなくても、中将ひとりいれば、事足りてる気がする」


キースと一緒にまぐまぐと食事をしているディオンを見て、《蒼い鷹》隊員の一人が呟いた。


いささか悔しそうな響きが含まれていた。


「……だよなー。なんか、中将にディオン取られた感じ」


《蒼い鷹》の他の隊員たちだって、小さくなった可愛いディオンを構いたかったのだ。


しかし、ディオンはぶっちゃけ、キースしか見ていない。


話しかければにこりと笑って答えてくれるし、名前も覚えていてくれる。


しかし、いつも最後にはキースの所に行ってしまうのだ。


「……なんか、ちょっと悔しいぞ、俺」


「ああ、俺もだ」


うんうんと頷いて、隊員たちは、にこにことキースの隣に座っているディオンと、無表情の上官を見た。




「よぅ、キース、ディオン」


隊員たちの会話を耳にしながら、カイルはおかしそうに笑って、キースとディオンの向かいに座った。


「ずいぶんと羨望の眼差しを集めてるな、キース」


クックと面白がるように笑うカイルを、キースは憮然と見返した。


別にキースは、自分で集めたくて集めているのではない。


ディオンがキースに懐いているのも、本人にはまったく理解できていないのだから。


「カイルお兄ちゃん!」


向かいに座ったカイルに、ディオンはにぱっと笑った。


「おー、ディオン。美味いか?」


「うん!」


ディオンは、まぐまぐとパンを頬張りながら、上機嫌で笑う。


「………ディオン、口の端にパン屑がついているぞ」


「え、どこ?」


ふとキースに指摘されて、ディオンはぺたぺたと自分の頬を触る。


「違う、ここだ」


見かねたキースが、妙に慣れた手つきでディオンの口の端についていたパン屑を取ってやる。


「ありがとう、お兄ちゃん!」


キースにパン屑を取ってもらったディオンは、にぱっと笑う。


無表情ながらも、キースがディオンに向ける瞳は優しい。


それを見ていたカイルは、クックと笑いを堪える。


……あのキースがよくもまあ、ここまで甲斐甲斐しくディオンの世話を焼くもんだ………。


キースは、クックと笑いを堪えている親友を怪訝そうに見るが、何も言わなかった。


「なーディオン。お前、キースのこと好きか?」


ふと、面白そうな笑みを浮かべたカイルに問われて、ディオンは満面の笑みを浮かべて答えた。


「うん! 大好き!」


「じゃあ、俺は?」


「カイルお兄ちゃん? 好きだよ?」


「ほー。じゃあ、隊員……皆の中で、誰が一番好きだ? ちなみに、アッシュはなしだぞ」


ディオンは首を傾げた。どうしてカイルがそんなことを聞くのか判らない。


カイルたちの会話を盗み聞いていた隊員たちは、一様に声を潜めてディオンの答えを待つ。


「一番好きなの、キースお兄ちゃんだよ!」


にぱっと笑って、ディオンは言った。


隊員たちは、予想された答えに妙に落ち込んだ。


あまりにも無邪気に言うので、それが嘘だとは到底思えない。


満面の笑みで、幼いディオンに一番だと言われているキースが、ちょっと羨ましくなる隊員たちだった。


「……………」


手放しで一番好きだと言われた当のキースは、じっとディオンを見詰めていた。


その薄氷の瞳は、どこか嬉しそうだ。


「おー。よかったな、キース。お前が一番だとよ」


「………その質問をする意味が判らない」


にやにや笑う親友に、キースはいつもの淡々とした声で返した。




「お、いたいた。ひさしぶり、ディオン君」


いきなり宿舎の食堂に現れたリディア・ヴァレン博士に、隊員たちは一瞬固まった。


……何しに来たんだ!


全員が同じ事を思った。


にこにこと近寄ってくるヴァレンに、キースは冷たい薄氷の瞳を向ける。


ディオンは、前に見たことのある男に、きょとんと首を傾げた。


「その後の様子はどうだい? 何か変わったことはない?」


薬の経過を見に来たらしいヴァレンに、キースはいつもより低い声で答える。


「いえ。とくにありません。ただ、一向に戻る気配もありませんが」


「あははー。それりゃそうだよ。最低一ヶ月は続くように作ったんだから」


あっけらかんと言われて、キースは内心苛立ちを感じた。


「でも、まだ試薬だから一ヶ月も持たないと思うけど」


笑って言い、ヴァレンはまじまじとキースとディオンを見る。


「それにしても………、まさか、アーベルン中将がディオン君の世話をしているとは思わなかったよ」


……誰のせいだ、誰の!


面白そうにいうヴァレンに、キースは額に青筋を浮かべた。


そもそもの発端はこの男なのだ。こいつにだけは言われたくないと思った。


「精神の方は副作用で後退してるから、あまり不安にはさせないでね。

 下手に過度な刺激を与えたら、彼の精神がどうなるか判らないから」


ディオンの黒髪を撫でながら言って、ヴァレンはキースを見た。


「どうなるか判らないとは?」


「文字通りだよ。肉体的には、ほとんど負担はない。そういう風に作ったんだからね。

 でも、精神の方はまったくの偶然だから、相当な負担が掛かってるはずだ。

 今は安定してるみたいだからいいけど、もしも過度な刺激を与えれば、精神の安定を崩す。

 とくに、負の感情や不安感はダメ。最悪、彼の精神が壊れる可能性もあるから」


笑みながらも真剣な口調のヴァレンに、キースは鋭い視線を向けた。


「……ま、そんなことは滅多にないけどね」


「………判りました」


にこりと笑ったヴァレンに、キースは頷く。


「さて、話しは終わったし、私はそろそろ行くよ。またね、ディオン君」


そう言ってヴァレンは、ディオンにひとつ、赤い飴玉を渡して去って行った。


じっとヴァレン博士の説明を盗み聞いていた隊員たちは、ほっと力を抜いた様子で、少し心配げにディオンを見た。


ディオンは、ヴァレンからもらった赤い飴玉を見て、きょとんとしている。


「あっさり重要なこと言って去ってったな、ヴァレン博士」


ヴァレンが去って行った方を見ながら、カイルはぽつりと呟いた。


それに同感しながら、キースはディオンの手から赤い飴玉を取った。


「ディオン、知らない者から貰った物は不用意に食べるな。

 いや、知っていても知っていなくても、ヴァレン博士から貰った物は、絶対に食べるな。いいな」


いささか厳しい口調で言われて、ディオンは眼を丸くした。


小さく頷きながらも、じっとキースに取られた飴玉を見詰める。


実はちょっと食べたかったのだ。


それに気付いたのか、キースはふと付け加えるように言う。


「……飴が食べたいのなら、私が買ってやる。だから、ヴァレン博士からは何も貰うな」


「! うん、わかった!」


途端にディオンがにぱっと笑った。


なかなかちびディオンの扱いが上手くなったキースに、それを見ていた隊員たちは驚き、

カイルはにやにやと笑みを浮かべていた。


からかうようなカイルを薄氷の瞳で睨みながら、キースは飴玉を屑篭に捨てた。












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