――…痕が消えないんです‥
困ったように言うけれど、どれだけ傷ついているか知っているよ
『空の向こう側』
劉曄の幕に来た陸抗は落ち着かない様子で座っている。もちろん劉曄以外の者は幕の中にはいない。
それでもやはり気になってしまうのだろう。入り口付近を眺めては溜め息を漏らす。
陸抗は基本的に曹操の側にいる。常にと言うわけではないが、大抵陸抗が姿を見せる時は曹操、もしくは郭嘉の側にいてそれ以外で姿を見せることは本当に極稀だ。
「落ち着かないか?」
「はい‥申し訳ありません。」
困ったような陸抗の姿にこれ以上の詮索は止め劉曄は書簡を手に取ると筆を滑らせる。
***
「知らぬな」
曹操の一言に孫策はガタリと音を立てて席を立つ。それを無言で周瑜が諌め、曹操と真正面で対峙する孫堅は視線を逸らさずに目の前の男を睨みつけ、曹操もまた孫堅から瞳を離さず不敵に微笑んでみせる。
「先日。我が軍で捕らえた盗賊が数年前に行方知れずになった俺の曾孫をさらったと証言した。」
孫堅の言葉に曹操は「そうか」と返すのみ。
「魏との国境付近でのことだ。もしかしたら‥と、思ったのだが?」
曹操は組んでいた脚を組み直す。
内心は怒りに任せて怒鳴ってしまいそうだった。だが、彼らのあまりの必死さに怒りを通り越し笑いさえ込み上げくる。
「すまないがそのような者みかけた覚えも無い。」
「ふざけんな!そいつが言ってたんだ、曹操軍にやられたって!!」
孫策は机をバンっと叩き、衝撃で机の上に乗っていた茶が零れる。
「俺とて、俺の軍だからと言って全てを把握できているわけではない。ましてや盗賊退治など‥な。」
曹操は立ち上がると兵を呼ぶ。
「悪いがもうここを発たねばならん。お帰り願おう。」
「わかった」
孫策が何かを言う前に孫堅が立ち上がり怒り狂う孫策を促し外へと出た。
「子供の名前は抗と申します。見かけましたら、教えてください。僅かなことでも良いので。」
去り際に残した周瑜の言葉に「ああ」とだけ返し、曹操は幕に戻った。そうして三人が完全に陣から出たと聞くと、真っ先に劉曄の幕へと向かう。
『どうか…この子を助けて下さい‥』
真っ赤に濡れた手。自分の命よりも、子供の命をと散った兵の願い。
『この子は道具じゃないんです』
震える手が子供の頬を撫で、地に落ちた。
『人質になど…』
今ならわかる。あの気持ちが。
――‥あの子を渡してなるものか…
真実ってなんだろう
嘘は何処から生まれてくるのだろう
答えは何処に埋もれたのだろう
誰にもわからない
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