078 シャングリラ後日談
□バリスタ
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「……俺、入社した時から、片桐さんのこと気になってたんですよ」
「……えっ!?」
「最初は、きれいな人だなって思ってただけだったんですけど。でも、いつも俺ら新卒のこと気にして、残業してるやつにコーヒーおごってくれたり、仕事に追われてるやつを手伝ってくれたり、でかいミスしたやつを慰めてくれてましたよね。ひとつしか年変わんないのに、かっこいいしすげえ優しいなって思ってました。そしたら、あの時、俺のことも助けてくれて……本当にうれしかった。それから毎日ムリヤリご一緒させていただいて、やっぱり素敵な人だ、もっと仲良くなりたい、プライベートの片桐さんのことも知りたいって思いました。私のこと好きなのって訊かれた時はライクだとか言いましたけど、実は7割くらいはラブだったんです」
顔を上げ、じっと井関くんを見つめた。
「……信じてくれました?」
「………」
「片桐さん……好きです。めちゃくちゃうれしいです」
「………」
また何も言えなくなってしまった。そしてまた涙が溢れた。
「うー……」
「すみません……。そんな風に思ってたんですね。そりゃ信じられないですよね……」
涙を拭っていると、肩に腕を回された。
あったかいな……。
うっとりとし掛けたが、顔を寄せられ、反射で飛び退いた。
「ちょっ、なに!?」
「いやこっちのセリフです! なんでよけるんですか!」
「アホか!! 公私混同すんなって何回言わすの!!」
「今さらですってば!!」
身の危険を感じた。立ち上がって後ずさり、深呼吸した。
「……あのね。会社ではスキンシップ禁止! 私は先輩であんたは後輩! わかった!?」
「えー……」
「当たり前でしょ! あんた新卒だよ!? まだ入社して半年も経ってないのに恋愛にうつつ抜かして、何かやらかした時に『片桐とイチャついてるからだ』とか言われていいの!?」
「……よくないです。すみませんでした」
ぺこりと頭を下げてくれるのを見て、胸を撫で下ろした。
「わかればよろしい。はあ……おなかすいた。また食べる時間ない……」
「あの。付き合ってるってことも、内緒ですか……?」
井関くんの縋るような目は、確かに子犬のようだ。
「……それはいいよ。どうせ隠せないし」
「マジですか!!」
「ただ言いふらさないでよね。……でもあんだけ大声でギャーギャー騒いだら、もしかして誰かに聞こえてたかも……あー、恥ずかしい……!」
「だ、大丈夫ですよ。昼休みですし、この辺は人気もないし……」
「……まあ、過ぎたことはしょーがない。何か言われても仕事で挽回しよ」
ぐっと伸びをすると、井関くんが低い声で呟くように言った。
「……他の男性の社員と仲良くしないでくださいね」
「『仲良く』ってなに。口も利くなっての?」
「いえ、そこまでは……。えーと……2人きりで外にお昼食べに行くとか……」
「いやそっちこそ。最近新卒の女の子と仲良くしてるみたいだけど、私の目の届かないとこでやってよね」
「やりません!! つーか、向こうから勝手に来るんですよ……」
「あんたがそれ言うの? 私に同じことしてたくせに」
睨み付けると、井関くんはまたしゅんと肩を竦めた。
「……まあ、もういいよ。そろそろ戻ろう。はあ……疲れた」
「片桐さん」
ドアノブに掛けた手を握られ、また顔を寄せられた。咄嗟に反対の手で井関くんの口を塞いだ。
「バカなの!? 話聞いてた!?」
「むぐ……いいじゃないですか! 今日限り!」
「だめったらだめ!!」
はあ、と息をつき、握られた手を外した。
「……後でね」
呟くと、井関くんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「……片桐さん!! 可愛いです……!! 約束しましたよ!! 楽しみ……!!」
「もおっ!! ほんっとにバカ!! もう行くよ!!」
腕時計を見るともう、昼休みが終わるまで五分を切っていた。慌てて廊下を走る。
「やば! 早く戻らなきゃっ」
「片桐さん」
「何!」
「今日、ご飯行きましょう」
「私今日遅くなる!」
「え!? じゃさっきの『後でね』って何だったんですか!?」
「だってああ言わなきゃ埒あかなそうだったから!」
「ひっでぇ〜〜!」
私たちの部署のフロアに辿り着いた時には、もうへとへとになってしまった。同じ距離を走ったのに、井関くんはけろりとしている。
「はあ……はあ……あんた、すごいね。全然、息切れてない」
「陸上やってたんで。片桐さん、普段運動してます? 今度一緒に走りましょうよ」
「勘弁して……」
井関くんと別れ、自分の部署のデスクに戻った。午後はやることが山のようにある。
「仁美ー! 営業からバーコード上がって来たよ! 処理よろしく!」
「はい……」
璃子からバーコードの束を預かった。
多いなぁ……これ伝票に起こして、いやその前に原価確認して……。
考えていると、ラインの通知音が鳴った。井関くんだった。
『終わるまでその辺で待ってます
もし手伝えることあったら言って下さい』
胸がきゅっと締め付けられた。
こんな感覚、いつ以来だろう……。自分にこんな感覚がまだ残ってたなんて……。
単純なもので、こんな小さなことで、なんとか早く切り上げようと前向きになれる。たぶん、井関くんが年下だっていうことも、社内恋愛だっていうことも、嫌だと思うことがこの先あるだろう。それでも、好きだと思ってもらえること、そして自分もそう思えることがうれしくて、菜々が言っていたのはこういうことだったのかと納得してしまう。『ありがとう』とだけ返信し、携帯をしまって原価表を取りに席を立った。
END