078 シャングリラ後日談

□バリスタ
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アラームの音にうっすら目を開けたが、カーテンの隙間から覗く空を見て、朝からげんなりしてしまった。

雨だ……めんどくさ……。

昨夜外に干した洗濯物のことを思い出し、のっそりとベッドから起き上がる。

やだなあ、雨降りってだけで仕事行く気失せるわ……。

その日は六月の終わりだった。大学を卒業して就職してから、一年と少しが経っていた。仕事にもやっと慣れたが、春には新卒が入社し、先輩という立場に立つと、新人の頃とは違う大変さに悩まされる。夏は忙しさにばらつきがあり、暇な日と慌ただしい日の差が激しい。ただでさえ雨で気分良くないんだから、せめて忙しくなりませんようにと祈りながら部屋干しの用意をした。



雨のお陰で電車も少し遅延し、私はますますげんなりした。それでも、出社して今日の入荷予定を確認すると、そんなに忙しくならなそうだな、と安心した。倉庫の方の在庫もチェックしようとフロア内の廊下を歩いていると、隣の部署から先輩のピリついた声が聞こえた。

「井関。今来たやつ数おかしいぞ」

「えっ!? 本当ですか……?」

「数えてみろ。だいぶ余ってる」

こっそり中の様子を窺うと、今年新卒で入った井関くんが、慌てたように先輩の側に駆け寄っている。その姿に、去年の自分を見ているかのような気分に陥った。

「ちゃんと発注する前に確認したか?」

「すみません……したつもりだったんですけど……」

ふと段ボールに目をやると、違和感を覚えた。お節介かと思いながらも、ドアをノックした。

「失礼します」

「おお、片桐。どうした?」

「すみません、日下さん。これロットおかしくないですか? 28入りになってますよ」

「え?」

段ボールに記載された数字を指さした。

「いつもはこれ、24入りじゃないですか」

「あれ……本当だ。それで余ってんのか」

「先方のミスじゃないですか? 28入りなんていつも発注しませんよね」

「そうか。井関、悪かったな。俺の方から先方に連絡しとくわ」

「あっ、いえ……」

井関くんは私と日下さんの顔を交互に見て、肩を竦めた。

「じゃあ、お邪魔しました」

踵を返すと、日下さんが嬉しい言葉を掛けてくれた。

「ああ、ありがとう。お前、今の仕事嫌気差したらまた戻って来いよ」

「えー、もうあっちこっち異動するのイヤですよ!」

日下さんと笑い合って部屋を出た。井関くんは所在なさげに小さく私に頭を下げていた。

よかった、お節介にならなくて。

午後は少しだけすっきりした気分で過ごせた。終業後、会社を出ると、雨が上がっている。清々しい気持ちで駅に向かっていると、後ろから声を掛けられた。

「片桐さん!」

振り向くと、井関くんがこちらに駆け寄って来ていた。

「お疲れ様です……すいません。あの……さっき、ありがとうございました」

頭を下げた井関くんの足元には、泥が跳ねている。

もしかして、それ言うためにわざわざ走ってきたの?

「いいよ。井関くん、悪くないじゃん」

「でも……うれしかったです。他の人誰も、あんな風に言ってくれなかったんで」

言いながら、井関くんはしゅんとして視線を落とした。

「あれは日下さんと井関くんにしかできない仕事だから、みんなにはわかりにくいんだよ」

「片桐さんはわかるんですか?」

「去年私が新卒で入った時、3ヶ月くらい井関くんの部署にいて、ちょっと教わったことあったんだ。人足りなくなって今んとこに異動したんだけどね」

「そうだったんですか……」

自然と隣に並ばれ、駅までの道をなんとなく二人で歩いた。駅前に三つ並んだ自動販売機の前で、井関くんがはっと足を止めた。

「あの、喉乾いてませんか? お礼におごります」

「ええ? いいよ、気にしなくて」

「いえいえ、遠慮しないでください」

私が止めるのも聞かずに、井関くんは勝手に自動販売機に小銭を入れた。

「どうぞ! 選んで!」

……年下の男の子におごられるなんてなあ。まあ……缶コーヒーくらい、いいか。

「じゃあ……ありがとね」

取り出し口から缶コーヒーを拾うと、井関くんはにっこり笑って私と同じものを買った。

「今日はほんと、ありがとうございました。また明日も、よろしくお願いします」

頭を下げ、井関くんは颯爽と去って行った。

バカに丁寧な子だなあ。大したことしてないのに。

そんなに喉は乾いていなかったが、電車に乗る前に飲もうとプルタブを引いた。いつも飲んでいる微糖の缶コーヒーなのに、なぜだかいつもより甘く感じた。
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