078 シャングリラ後日談

□タラレバ
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一年のうち、最も好きな季節がやって来た。若い頃は夏が好きだったが、海やプールや花火大会のようなものを純粋に楽しめた頃の気持ちは、この仕事を始めてからはもうだいぶなくなってしまった。今の時期ならエアコンもいらないし、ロンTやパーカー一枚で過ごせるのが楽過ぎて、もう一年中このくらいの気候が続けばいいのにと思ってしまう。それに……九月が終わると、菜々ちゃんと付き合い始めた頃のことを自然と思い出す。もうあれから三年が経ったのかと思うと、つい感慨に耽りそうになってしまう。

だが、菜々ちゃんとはここのところ会えていない。最後に会ったのは約一ヶ月前だ。菜々ちゃんは度々、職場の同僚に仕事をなすり付けられていたようで、それを東が助けてくれたようだが、あろうことか奴はその報酬にと、終業後二人きりの休憩室で菜々ちゃんを抱き締めたらしい。その日は月曜で、夜はラジオの生放送が控えていたが、少しだけでも会いたいと言ってくれた菜々ちゃんの為に、車を飛ばして彼女を慰めに行った。その次の日は、夜に体が空いていたので、菜々ちゃんの職場まで迎えに行きゆっくりと過ごすことができたが、それから今日まで、まとまった時間が取れていない。たまに数時間体が空いても、忙しいだろうから少しでも眠って欲しいと、菜々ちゃんは俺を気遣ってくれていた。

ありがたいけど、そろそろ会いたい……。今日も、体が空くのは撮影の中空き時間くらいで、終わるのは恐らく日付が変わる頃だ。菜々ちゃんに会えないと、体はともかく精神の方がやられてしまう。ADさんの「三時間待ちです!」という声を合図に、俺はふらりと現場を離れた。今日のロケ地は、菜々ちゃんの職場から近い。近いと言っても、一駅、二駅分くらいは離れているが、それでも、なんとなく嬉しくなってしまう自分に軽く呆れながら、近くにあったカフェに入った。窓際の席に通してもらい、注文を済ませて携帯でスケジュールを確認していると、視界に影が落ちた。顔を上げると、ガラス越しに意外な人物が立っていた。

「………」

一瞬迷ったが、眼鏡を外し、黙って向かいの席を指さした。その人物はふっと笑って店の入り口に足を向け、数十秒後、ガタ、と椅子を引いて俺の向かいに腰掛けた。

「何してんだ? こんなとこで」

以前会った時と同じ鼻持ちならない薄ら笑いを浮かべ、東が舐めるように俺を見た。

「撮影の中空き。お前こそ何してんだ。仕事は?」

「商談の帰り。お前な、俺お前よりだいぶ年上なんだぞ。敬語使えよ」

菜々ちゃんに会えたらな、会えるわけねーけど、と思っていたのに、なんでよりによってこんなヤツと顔合わせなきゃなんねえんだと、自分から席に招いたくせに溜め息を漏らしてしまった。

「尊敬してねーのに敬語なんか使えるかよ」

「同業の先輩にも同じこと言えんのか?」

「お前は同業じゃねーだろ」

「相変わらずだな……」

注文したコーヒーを持って来てくれた店員を呼び止め、東はブレンドを注文した。

何俺と同じもん頼んでんだ、胸糞悪い。

「……お前な、俺に謝らなきゃいけねえことあんだろ?」

頬杖を付いて東を睨み付けたが、ピンと来ないのか、東は怪訝な顔をした。

「あ? ねえよ、そんなん」

「ふざけんな。彼女に何したと思ってんだお前」

あの夜菜々ちゃんを抱き締めた時のことに決まってんだろ、俺は一日だって忘れたことねえんだぞ。

できる限り声に凄みを利かせたつもりだが、東はそれがどうした、とでも言いたげな軽いトーンだった。

「ん? ああ……あー、あれのことか。そう言うなら、お前は俺に感謝しろよな。俺の助け船のおかげで加納さんの濡れ衣晴らせたんだぞ」

「それは感謝する。俺には手出ししようがなかった。ありがとう」

「な……何だよ。素直だな」

「お前と同じレベルに落ちたくないからな」

「よく言うよ……」

運ばれて来たコーヒーを啜り、東は俺をまじまじと見つめた。

「何見てんだよ、気色わりいな」

「……お前、あんまオーラねえのな。メガネ外して大丈夫かよって思ってたけど、周り気付いてなさそうじゃん」

「昔からだ。気付かれて騒がれることも少ないし、メガネは万一の為だ」

「ふーん。それなのに、栗原結愛と撮られた写真ではメガネかけてたよなあ。加納さんに聞かれちゃマズい話でもしてたか?」

ニヤニヤと、東も頬杖を付いた。あの写真を撮ったのは普通の記者じゃないと弁明したかったが、話が長くなるし、二人きりでカフェにいたのは事実なのでやめた。

「……彼女はどうしてる? 元気そうか?」

「あ? お前の方がよく知ってんだろ」

「最近会えてない。俺の仕事が忙しい」

「今の姿を見る限り全然そんな風に見えねえけどな」

「昼間体が空いても会えない。撮影が遅くまで延びたり、共演の先輩に飯とか飲みに誘われることも多いから……」

「へえ……最近ってどんくらいだよ」

「……1ヶ月くらい」

「はあ〜〜? マジで中坊だな。毎日会いたい〜! みてーなメンタルしてんのか?」

「俺はできることなら毎日会いたいな」

「気色わりー……」

「何とでも言え。俺はお前と違っていい加減に人と付き合わねえんだよ」

足を組み、俺もコーヒーを啜った。東は目を見開いて声を荒げた。

「はあ? 俺のどこがいい加減なんだよ!」

「気持ち冷めてんのに元カノとズルズル何年も付き合ってたって聞いた」

「お前こそ加納さんと付き合う前は女取っ替え引っ替えしてたじゃねーか!」

「人聞きわりいな……人の恋愛遍歴調べてんじゃねーよ」

「事実だろ! 加納さんにもすぐ飽きんじゃねーの?」

そんなわけねえだろ……アホかこいつ。

「……お前、本当に彼女のことが好きなのか?」

「俺が聞きてーよ。お前みたいなヤツがなんで加納さんと付き合ってんだ? もっと他にいい女イケるだろ!」

……やっぱアホだな、こいつ。

「……彼女が好きなくせに、そんなこともわかんねえのか?」

「……いや、わかる。いい子だよな。意外とお前の方が加納さんにハマってるっぽいのも、わかる」

そう言って東は目を伏せた。俺と菜々ちゃんの気持ちの大きさ、重さを計ることはできないが、なんとなく、俺も東と同じように感じる。

「……お前、加納さんのどこが好きで付き合ってんだ?」

「はあ? 何だよ急に」

「加納さんはお前のこと、『いつも優しくて自分を守ってくれる、好きだって気持ちをいつも真っ直ぐに伝えてくれる』っつってた」

……菜々ちゃん……。

「……お前と同じような理由だと思うけどな」

「ごまかすなよ。加納さんはちゃんと話してくれたのに」

「余計なこと訊いてんなよ……」

「いいから聞かせろよ。答えられねえのか?」

試すような東の表情に、心の中で舌打ちした。

「……彼女には本当に、いつも助けられてる。出会った時からずっと……。彼女は俺には勿体ない」

「へーえ。そんなら、俺がもらってもいいけど」

「お前にはもっと勿体ねーわ! モノじゃねえんだぞ!」

「ふっ。加納さんすげえな。坂井達樹にここまで言わせるとは」

「フルネームで呼ぶんじゃねえよ……お前こそどうなんだ。彼女のどこが好きなんだ」

表情が歪むのを見られたくなく、尋ねると同時にカップで口元を隠した。それでも、視線に不快感が混じってしまったらしく、東は俯いて苦笑いした。
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