078 シャングリラ後日談

□夢と追憶
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「っっ!!」

肌にまとわりつくような陰惨な感覚に、私は飛び起きた。真っ暗な部屋の中、窓を叩く雨の音に紛れて、達樹くんの規則正しい寝息が聞こえる。ぼやけていた意識がはっきりし始めて漸く、心から安堵した。

またあの夢……。

髪を掻き上げ、溜め息をついた。どくん、どくんと音を立てる心臓と、手のひらに滲む冷や汗にうんざりしながら、そっとベッドを降りてトイレに立った。洗面所の明かりを点け、鏡でじっと自分の顔を見る。

どこからどう見ても、二十一歳の加納菜々だ。それなのに、あの夢を見る時はいつも、幼かったあの頃に戻っている。自らの気の脆さに失望しながら、顔を洗った。暫くタオルに顔を埋めていると、突然、声を掛けられた。

「……菜々ちゃん」

「ひゃあっ!!」

「あ、ごめん」

私の背後に音もなく現れた達樹くんは、先ほどまで寝ていたはずなのに、全く眠そうな様子がない。だが、その眉根には皺が寄っている。

「ご、ごめん。起こしちゃって……」

「いいよ。それより、どうしたの?」

「あ……ちょっと、目が覚めて……」

咄嗟にそう言うと、達樹くんは私の手を取り、自分の方へ私を引き寄せた。

「もう一回訊くね。どうしたの?」

私の拙い嘘やごまかしは通用しない、強い視線と口調だった。鈍く光る達樹くんの瞳から、目が離せない。

「……どうして……?」

「うなされるような声、聞こえてた。気のせいかと思ってたけど、起き上がる気配がして……戻って来ないから」

それ以上、達樹くんの真っ直ぐな目を見ていられなくなった。口に出すのも憚られるが、身を奮い立たせ、絞り出すように呟いた。

「……夢、見たの……」

「夢?」

「……うん……小さい頃の……」

私は小さい頃、火事で家をなくしている。もう十五年以上経つのに、夢を見る時はその記憶が鮮明に蘇る。顔を上げられずにいると、強い力で抱き締められた。途端に、涙が込み上げた。

「……達樹くん……」

「菜々ちゃん、ごめん。何もできなくて」

「………」

達樹くんの腕の中で、ただ首を振った。

「……私こそ……ごめんね。どうしたんだろ……」

「さっき、消防車の音、聞いたからかな……」

「いつもは、それくらいじゃ夢に見ないよ」

「……いつも? そんなしょっちゅう夢見るの?」

体を離して、私の目をじっと見つめる達樹くんの瞳は、先ほどとは違う、心配でたまらないという色が滲んでいる。

「えっと……最近は、半年……に1回とか。昔は、もっとよく見てたけど……」

「……そうなんだ……」

「でも……よりによって、達樹くんといるときに、あんな夢見るなんて……」

「……消防車だけじゃなくて、台風も停電もあったし……俺が心配かけたのもあったのかな」

「達樹くんのせいじゃないよ!」

「いや……」

もう一度私を抱き締め、私の肩口に顔を埋めたまま、達樹くんは苦しそうに言った。

「菜々ちゃん……よりによって俺といる時に、なんて言わないで」

「え?」

「ひとりでいる時より、俺といる時の方が、夢見ても安心できない? 俺といる時でよかった、って言って欲しいよ」

また涙が込み上げた。私も達樹くんの背に腕を回して、力を込めた。

「……でも……達樹くんに会う日にばっかり、夢見るのも……それはそれでやだ……」

「……確かにね。俺と会うイコール夢見る、になったら、会いたくなくなるよな」

「ふふ……」

つい笑うと、達樹くんも安心したように笑った。

「少しは落ち着いた? 何か飲む?」

「ううん……大丈夫。達樹くん朝早いから、寝なきゃ」

「なんだよ……俺のことなんかいいよ、こんな時に」

「だって、達樹くんが元気じゃなきゃ、私も元気でいられないもん!」

口を尖らせると、達樹くんは小さく息をつき、体を離して私の目を見た。

「俺も同じだよ。菜々」

胸が締め付けられる。前にあの夢を見た時は、いつだっただろう……。一人暮らしを始めてから、何度かあの夢は見ているが、一番鮮明に思い出すのは、越して来てすぐに見た時だ。お父さんもお母さんも涼太もいない部屋で、独りで……怖くて寂しくて、誰にも頼れなくて……。その後朝まで眠れずに、ただ泣いていた。でも……今は、達樹くんが側にいてくれる……。

本当に……達樹くんの言った通り、達樹くんがいるときでよかった……。あの夢を見たあとなのに、こんなに穏やかな気持ちになれるなんて……。

また涙が溢れてしまい、達樹くんは慌てたように私の頬を覆った。

「菜々ちゃ……大丈夫? まだ怖い?」

「……ううん、うれしいの。達樹くんがいてくれて……」

涙を拭うと、達樹くんはふっと笑った。

「菜々、おいで。眠ろう」

「……ん……」

ベッドに潜ると、達樹くんはそっと私を抱き締めてくれた。

「今度は、楽しい夢見てくれたらいいな……」

「……たとえば、どんなの?」

「んー……空飛ぶ夢とか?」

「ふふっ。たまに見るよ。空飛ぶ夢」

「おおっ。俺も見る。どんな風に飛ぶの?」

「泳いでるみたいな感じ! 助走つけてジャンプしたら、空が水の中みたいになるの」

「へえ〜楽しそう! 菜々ちゃん、水泳部だもんなあ」

「え、関係あるのかな!? 達樹くんはどんな風に飛ぶの?」

「俺は舞空術みたいな感じ。菜々ちゃん、ドラゴンボール知ってる?」

「知ってるよ! 実家に漫画あるよ!」

「えっ! 意外だなあ」

「弟いるから。ちっちゃい頃、よく読んだなあ。久しぶりに、また読みたくなってきた!」

「おもしれーよなー。俺も何っ回も読んだわ。アニメも観たし映画も観たなー」

「えー、すごい! やっぱり男の子だね!」

おしゃべりしていると、楽しくなってしまい、結局なかなか眠れなかった。前に夢を見た時は、怖くて寂しくて眠れなかったのに、今は楽しくて幸せで眠れないなんて……。

達樹くんってすごい……。どんなに怖くてイヤな思いをしても、全部プラスに変えてくれる……。

さっきはあんな言い方しちゃったけど、もしまたあの夢を見ることがあっても、その時もまた、達樹くんに側にいてほしい……。

カーテンの隙間から覗く、少しだけ白んでいる空を眺めながら、私はついそんなことを考えてしまっていた。



END
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