078 シャングリラ後日談

□触発
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大北さんの最初の報告から、一年が経った。十月の大安、その日は清々しい快晴だった。菜々ちゃんと付き合って、五年が経った。黒のスーツに身を包んで、家を出る。それなりに人の結婚式には出席しているつもりだが、大北さんの結婚式となると、喜びもひとしおだ。それに……菜々ちゃんも一緒に出席するなんて……。

菜々ちゃんのことを考えると、少しだけ胸が騒ぐ。ごまかすように、タクシーを呼び止めた。



式場に着くと、佐々木さんと高崎さんに囲まれた。

「よお。遅かったな」

「おはようございます。お二人が早いんすよ!」

「何言ってんだ、もうみんな来てるぞ。菜々ちゃんも向こうにいたし」

なんとなく、ぎくっとしてしまう。

「あっちで、マリナと明日香ちゃんとしゃべってる。わかってると思うけど、恋人オーラ出すなよ」

「わ……わかってますよ……。ええと……やっぱ、挨拶した方が自然すかね?」

「いやそりゃそーだろ! シカトする方が不自然だよ!」

溜め息をつき、佐々木さんが指さした方に目をやった。菜々ちゃんはこちらに背を向けていて、一瞬彼女だとわからなかった。いつもそのまま下ろしているだけか、ポニーテールくらいしかしない菜々ちゃんの髪は複雑にアレンジされていて、耳の後ろの後れ毛と真珠の髪飾りが愛らしい。菜々ちゃんの向かいに立っているマリナさんと森野さんは俺に気付いたようで、彼女に何か話して去ってしまった。深呼吸して近付くと、菜々ちゃんがぱっと振り向いた。

「菜々ちゃん」

「……達樹くん!」

俺を見ても、菜々ちゃんは俺を呼んだきり、何も言ってくれない。菜々ちゃんの着ているドレスはウエストで切り替えがあり、肌が透けた五分袖の黒いレースが上品だった。ウエスト部分に小さなリボンが付いた膝丈のスカートは光沢のある深い緑色で、耳に光っている、昔俺がプレゼントしたエメラルドのピアスに合っているなあとぼんやり思った。

やべー……めちゃくちゃ可愛い……。

俺も何も言えずにぼうっと菜々ちゃんの姿を眺めていると、彼女は恥ずかしそうに俺を見上げながら小さく呟いた。

「久しぶり……」

「……うん。元気だった?」

「元気だよ……。達樹くんも、元気そうだね」

「うん……」

……やべっ、むずい!!

台本も何もないのを差し引いても、この演技は難し過ぎる。絶対俺たちの様子を離れた所から見ているであろう佐々木さんたちから、後で総ツッコミ食らいそうだな、と考えていると、菜々ちゃんは俯いて、また小さく呟いた。

「……達樹くん、かっこいいね。スーツ姿……」

「えっ!? そう……?」

「うん……すてき。すごくよく似合ってる」

昔から、人の結婚式に出る時はこのスーツだ。何の面白味もない、黒のスーツ、白のシャツ、シルバーのネクタイだし、しかもこれは自分で店に足を運んで買いに行ったのではなく、雑誌の撮影で着せてもらった衣装を買い取っただけのものだ。菜々ちゃんに話したら怒られそうだな……。

「そうかなあ……ドラマでも雑誌でも、スーツなんてよく着てるけど」

「……生で見るのは初めてだもん」

菜々ちゃんのその一言に、彼女は「自分たちは久し振りに会った」という設定を忘れているように感じた。胸が締め付けられる。

「……菜々ちゃんも、すげえ可愛いよ。髪も服も」

「そ、そう? ありがと……」

「……早く帰って、抱き締めたい」

菜々ちゃんにしか聞こえないくらいのトーンで囁くと、彼女は真っ赤になった。

「なっ、何言ってんのっ!」

「いや、そっちが先だから!」

「私何も言ってないし!!」

笑い合っていると、誰かが勢い良く首に腕を回して来た。

「達樹! お前な。5分前に喋ったこと忘れたのか?」

「いって! 高崎さん!」

「菜々ちゃんも、みんなの前でそんな顔赤くすんなよ!」

「佐々木さん! だって、達樹くんが……」

「うわっ! 菜々ちゃん、言うなよ!」

「え、なになに? 坂井くん、何したの!?」

「まあ大体わかるわよ。菜々ちゃん、そのカッコ可愛い〜イチャイチャしたい〜とか言ったんでしょ?」

「マリナさんっ!! いや、合ってるけど!!」

「合ってんの!? 坂井くん、きも……」

「森野さん!! ひでえ!!」

「はあ……こんなんじゃ、すぐ周りにバレるな。まあ、2人が相変わらず仲良さそうで、安心したけど」

頭を掻く佐々木さんに、ぐっと言葉を詰まらせてしまう。

「そうね。もし今日2人がケンカ中っぽい雰囲気でも醸し出してたらどうしようかと思ってたけど、とりあえず坂井のこと殴らなくて済みそうだわ」

「え? もしケンカしてたら俺マリナさんに殴られてたんすか?」

「菜々ちゃん、坂井くんとケンカとかするの?」

「ケンカ……あったかなあ……私は、浮かばないです……」

「俺も、浮かびませんね。ケンカらしいケンカはしないかな……」

「へーえ……」

含みを持った高崎さんの相槌をきっかけに、菜々ちゃん以外の全員が俺を睨む。普段そんなに仲良くしてんなら、さっさとプロポーズしろよ! という意図が痛いほど伝わって来る……。

「……それにしても、長く付き合ってるようには全然見えないな。初々しいくらいだよ」

高崎さんの言葉に、菜々ちゃんは俯いた。

「達樹もだけど、菜々ちゃんもわかりやすいなあ。そんなに、達樹のスーツ姿が直視できないの?」

「佐々木さんっ!!」

菜々ちゃんが頬を覆いながら大声を上げた。

可愛い……俺の方こそ、直視できねえわ……。

「2人きりでいることの方が多いんだから、私たちにこんな風にからかわれたら、恥ずかしいよねえ」

「そうね。でも、このまま2人きりにしておくと色々危なそうだから、とりあえず私たちは固まっておきましょ。今日は外にマスコミも張ってるだろうから」

そう、それが厄介だ。今日は菜々ちゃんと二人で部屋に帰りたいが、それは難しそうだ。後で菜々ちゃんにタクシーで来てもらうとか……いや、そのやり方でも昔、週刊誌に撮られたしなあ……。

「いやほんと、一緒にいてください。皆さんの他に知り合いなんていないし、周り、芸能人がいっぱいで、落ち着かない……」

「お? 俺たちには気ィ遣わなくていいから楽だってのか?」

「やっ……高崎さん、いじわるっ!」

楽しそうに皆と話す菜々ちゃんと対照的に、俺は一人この後のことを考えていた。
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