078 シャングリラ後日談

□羨望 菜々サイド
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映画の撮影が始まると、達樹くんにはなかなか会えなくなる。それでも、彼は度々、今日の撮影はどうだったとか、大北さんとの写真とかをラインしてくれた。こうして達樹くんの近況を見たり聞いたりしていると、いつも、作品が公開されるのが楽しみで仕方なくなってしまう。グロいのはキライ! なんて言ってる場合じゃないなあ……。

七月に入ると、私の仕事も忙しくなり始めた。本間さんから様々な業務を教わり、ひとつ、またひとつと、任される仕事も増えたからだ。定時で上がれないことも増え、十九時、十九時半に事務所を出ることもざらになって来た。

その日は特に遅くなり、二十時、やっと事務所を出た。最近、忙しさから来る疲れをごまかしたく、今までは電車の中だけで我慢していたラジオを、歩いている間はずっと聴いている。一応、電車の中以外はイヤホンを付けるのは方耳だけにしているが、達樹くんにもし見られたら、また、「危ない!」って怒られちゃうな、と思いながらも、今日もラジオを聴きながら帰りたいと、携帯を取り出した。すると、達樹くんからラインが届いていた。

『今電話大丈夫?』

その内容に、思わず辺りをキョロキョロしてしまう。が、もし近くにいて私を見ているなら、直接電話を掛けて来るはずだ。時間を見ると、ラインが届いていたのは三十分前だ。気を落ち着かせて、『遅くなってごめんね。どうしたの?』と返信した。

すぐに、電話は掛かって来た。達樹くんと電話するのは、久し振りだ。もしかして会えるのかな? と期待して、「どうしたの?」と尋ねたが、「急にごめんね」という達樹くんの声色は、私を妙に不安にさせた。

何かあったんだ。

そう直感させる声色だった。様々な可能性が、頭の中に瞬時に浮かんだ。

「達樹くん……どうしたの?」

訊くのが怖い。達樹くんも、私の反応が怖いというように、苦しそうな声で言った。

『菜々ちゃん……ごめん。週刊誌に……』

週刊誌!!

「撮られたの!? また!? 会えなくなるの!?」

以前、達樹くんのマンションを訪れる私の写真が週刊誌に撮られ、暫く会えなくなったトラウマが蘇った。達樹くんは、尚苦しそうな声で続けた。

『……撮られたのは俺なんだ。栗原さんと……2人で、カフェにいるところ』

……えっ?

「栗原さんって……栗原結愛? 映画で共演する……」

『……そう』

な……なんじゃそりゃ。

「……なあんだ。また、私の写真かと思った」

はあ……力抜けちゃった。何かと思った……!

達樹くんも、私の声に、拍子抜けしたようだった。

『菜々ちゃん……怒んないの?』

「え、なんで怒るの? カフェでしょ? お茶しただけじゃないの?」

『いや、確かにそうだけど……』

「じゃあ、全然いいよ。びっくりしちゃった」

すごい低いトーンで話すから、ほんとにびっくりした……。別に、女優と二人でカフェに行くくらい、気にしないのに。

それでも、達樹くんの声は、本当に申し訳なさそうだった。

『……ごめん。菜々ちゃん……本当に』

「いいってば! 謝らないでよ。ほんとに悪いことしてるみたいじゃん!」

『だけど……』

食い下がる達樹くんに、つい、むっとしてしまった。考えるより先に、口から言葉が飛び出してしまった。

「もう、ほんとに、いいよ! 謝るくらいなら、最初から2人で会うようなことしないで。撮られても問題ないって思ってるから、そういうことしたんでしょ?」

言い過ぎだ。

わかっていても、謝ろうと思えなかった。

私なら、他の男の人と二人で、カフェに入ったりなんかしない。でも、達樹くんは、仕事柄、女の人とカフェくらい行くことはあるだろうし、今まで言われなかっただけ、撮られなかっただけで、きっと何度もこんなことはあったはずだ。

平気だと思っていたはずなのに、こんなに真摯に謝られると、浮気の言い訳をされているかのように感じてしまう。達樹くんからすれば、記事が出る前に報告をしてくれているだけなのに、誠実に謝ってくれているのに、言いようのない感情に支配され、言葉を制御できなくなってしまった。

「悪いけど、今からお風呂行こうとしてたから、もう切るね。お仕事がんばって。行ってらっしゃい」

達樹くんの返事を待たずに、電話を切った。まだ部屋にも帰っていないのに、お風呂だなんて大嘘だ。

どうしちゃったんだろう、私……こんなことで取り乱すなんて……。

もうラジオを聴く気にはなれなかった。イヤホンを鞄にしまい、早く帰って本当にお風呂に入らなきゃ、と思っても、足が思うように動かない。電柱に凭れ掛かり、行き交う人をぼうっと眺めた。手を繋いで歩く若いカップルが目に留まった。

うらやましいな……。私も、達樹くんと手を繋いで外を歩きたい……。

涙が込み上げた。達樹くんに謝らなきゃ……でも、なんて謝ればいいんだろう?

答が出せないまま、私は漸く、駅へ急ぐ人混みに身を預けて行った。
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