078 シャングリラ後日談
□羨望 達樹サイド
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そうして、撮影が始まった。主演の日高湊とは何度も共演している仲だし、共演者には大北さんもいるので、緊張感を持ちながらも、随分伸び伸びと演技をすることができているように感じていた。撮影は順調に進んで行った。いつも、映画の撮影は進めば進むほど、菜々ちゃんの反応が気になってしまう。今回の映画は少々グロテスクなシーンが多いから、スクリーンで観るには、菜々ちゃんにはハードルが高いかなと、つい、こっそりと笑ってしまった。
二十二時過ぎ、その日も、撮影は無事に終了した。お疲れ様でした、と皆に挨拶し、湊からの差し入れの葡萄をつまんでいると、栗原さんに声を掛けられた。
「達樹くん。お疲れ様」
「あ、栗原さん。お疲れ様」
口元を拭いながら挨拶すると、栗原さんは肩を竦め、小さく笑った。
「いつまで経っても、名前で呼んでくれないよね」
自分でもよくわからないが、いつもなら割と、自分と同い年や、年下の女優さんのことは気軽にちゃん付けで呼ぶことができるのに、やっぱり栗原さんは近寄りがたく、名前を呼ぶのは抵抗があった。撮影が始まってだいぶ経つのに、仕事の話以外はまだ一切したことがない。
「あ……気に障った?」
「ううん。全然、そんなことないけど」
「……じゃあ、結愛ちゃん、でもいい?」
尋ねると、栗原さんはパッと花が咲いたように笑った。それは、いつも、笑っていても目は笑っていないように見える栗原さんの、心からの笑顔に見えた。
「うれしい! ありがとう!」
「いや……こちらこそ……」
「達樹くんって、ほんとに仕事熱心だね。演技に妥協しないし、監督にも積極的に意見するし、すごく真面目だよね。話に聞いてた通り」
褒めてもらっているのだろうが、なんとなく、どう返していいかわからず、ありがとう、とだけ返した。結愛ちゃんはまた、本音の見えない笑顔を浮かべた。
「公開が楽しみ。撮影も折り返しだね。がんばろう」
それだけ言って、結愛ちゃんはふわりと踵を返した。
……なんかマジで、掴みどころのない人だなあ。
そう考えながら、湊の葡萄を二、三粒口に含み、俺もスタジオを後にした。