078 シャングリラ後日談
□氷解
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「寿司食うんなら、酒買ってくるわ。達、何にする?」
「あ、俺はいい。車だし」
「なんだよ、俺も車だよ。代行頼めよ」
「この前、代行頼んで痛い目に遭ったんだよ。しばらく頼みたくない」
え……? そんなこと、初めて聞いた……。
「ふーん? 菜々ちゃんはどうする?」
「あ、達樹さんが飲まないなら、私もいいです」
「遠慮すんなよ」
「そうよ、菜々ちゃん! ねえ、お父さん?」
お父さんは、私の方を見もせずに呟いた。
「……好きなものを頼みなさい」
「あ……ええと……じゃあ、缶チューハイみたいな感じのものを……」
「わかった。すぐ戻るわ」
お兄さんは、私でも飲みやすそうな、葡萄や桃のチューハイを買って来てくれた。そこでインターホンが鳴り、テーブルに、たくさんのお寿司が並べられた。
「わあ! おいしそう!」
「さあ、いただきましょう。菜々ちゃん、何が好き?」
「あっ……私は後で……」
「あら、いいのよ! お客さんなんだから!」
すると、お父さんが余っている割り箸を手に取った。
「菜々さん。何が好きなんだ」
「え、えーと……白身が好きです……」
恐る恐る言うと、お父さんは私の取り皿を取り、タイやカンパチやハマチを乗せてくれた。
「さあ。食べなさい」
「あ、ありがとうございます。恐れ入ります」
びっくり……。こんなこと、実家のお父さんにも、してもらったことないかも。
お父さんと私の様子を見て、達樹くんが眉を顰めた。
「別人かよ……。俺、こんなことしてもらったことねえ……」
「俺もねーよ。父さん、俺にも取ってよ」
「何で私がお前たちに。自分でやれ」
「ふふふ。さあ、いただきましょ! 最初はやっぱりマグロよね!」
あっと言う間に、お寿司はなくなった。片付けを手伝わせてもらうと、お母さんが、私の持って来たお菓子を出してくれた。
「おいしーい! あ。そのひとつ余ってるの、お母さんが食べるからね!」
「なんでだよ! ジャンケンだろ!」
「菜々ちゃんが私にって買ってきてくれたのよ!」
「だって、久々に食うとうまいから! なあ、父さん?」
お父さんは、ちまちまとお菓子を口に運んでいる。
「……お母さんに譲ってやれ。また、買って来てもらえばいいだろう」
「ふふ。はい。またお邪魔させてください」
よかった……。また来てもいい、ってことだよね? 少しは、心を許してくれたって、思っていいかな……。
食べ終わって後片付けをすると、もう二十一時を回っていた。
「もうこんな時間ですね。長居してしまって申し訳ありません。そろそろお暇いたします」
「あら、もう? そっか、明日、お仕事ね」
「はい。本日はありがとうございました。お母さま、またお邪魔させてください」
「もちろん! いつでも来てね。待ってるわ!」
「菜々ちゃん、ありがとね。今度は俺の家にも来てよ。嫁と子供たち紹介するから」
「はい! ぜひ! お兄さん、ありがとうございました」
そして、改めてお父さんに向き直った。
「お父さま。本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします」
「ん……。うん……」
「さっきの約束、忘れないでくださいね?」
「約束なんてしてないだろう!」
「え!? 菜々ちゃん、約束って何!?」
「達樹くんには秘密。そうだ! お父さま、ライン教えてくださいよ!」
「えっ!?」
「携帯貸してください! 私やりますから」
慌てるお父さんを横目に、達樹くんは怪訝そうな顔をした。
「え、父さん、ラインやってんの?」
「達、知らねえの? まあ、俺もこないだ知ったばっかだけど」
「知らねーよ! なんで俺には教えねーんだよ!」
「じゃ、達樹くんもお父さまと交換しよっ」
「おい! 誰もいいって言ってないぞ!」
「だめなんですか?」
じっとお顔を見つめると、お父さんは口をぱくぱくさせて、私から目を逸らした。
「……好きにしなさい」
そう言って、お父さんは私に携帯を貸してくれた。
「ありがとうございます!」
「菜々ちゃん、私にもライン教えて!」
「俺も教えて。達は既読スルー多いから」
「いや違っ、忘れてんだよ! シカトしてるわけじゃ……」
「それをシカトっていうんだよ……」
そうなんだ。達樹くん、私には既読スルーなんて全然しないのに。
つい笑ってしまいながらも、ラインの新しい友達欄の「Isao Sakai」という文字を見て、達樹くんとおんなじ表記だ、やっぱり親子だなあ、と嬉しくなってしまった。
「はあ……。じゃあ、父さん、母さん、基。今日はありがとう。また連絡するよ」
「おう。お疲れ」
「達ちゃん、また帰ってきてね? いつも寂しいんだから」
「わかったよ。……父さん、ありがとう」
達樹くんが言うと、お父さんは小さく息をつき、達樹くんの肩をぽんと叩いた。
「……体に気を付けなさい」
俯きながら、小さく、でもはっきりとそう言ったお父さんに、達樹くんは恐る恐る、というように右手を差し出した。
「……ありがとう。父さんも……」
お父さんは何も言わなかったが、達樹くんの手をそっと握った。二人の姿を見て涙が溢れそうになったが、なんとか堪えた。玄関を出て車に乗り込むと、お母さんとお兄さんはいつまでも手を振ってくれた。お父さんは手は振ってくれなかったが、姿が見えなくなるまで玄関に立ち、最後まで家に入らずに見送ってくれていた。