078 シャングリラ後日談
□氷解
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庭に出ると、もう日は落ち掛けていた。お父さんは小さなベンチに座り、本当にぼうっとしていた。煙草の匂いは、もう全く残っていない。吸い終わってだいぶ経つのだろう。怖じ気付きそうになったが、勇気を振り絞って声を掛けた。
「し、失礼します」
私の声に、お父さんは飛び上がった。私を見てもすぐに目を逸らし、何も言ってくれない。
「あの、達樹さんのお父さま。みんな待っています。戻りませんか?」
歩み寄って側に屈むと、お父さんはゆっくりと私を見た。
「……あなたは変わり者だ」
「え?」
「あんな仕事をしている息子と、結婚しようなんて」
そう言って、お父さんはまた私から目を逸らした。
「……そんなこと……」
「あれの何がよくて、結婚しようなんて思うんだ。どうせ、顔か稼ぎだろう」
その言い草に、一気に頭に血が上った。立ち上がり、考えなしに、言葉を口に任せた。
「私は、それだけで6年お付き合いして結婚までするほど、器用でも賢くもありません」
「結果、顔と稼ぎがいい男を捕まえてるんだから、世話ないな」
「顔と稼ぎだけいい男性はいくらでもいます。私は、テレビの中の達樹さんも、素の達樹さんも、どちらとも愛しています」
「調子のいいことを。君たちの馴れ初めは、舞台での共演じゃないか。息子のファンだから、オーディションに応募したんだろう」
お父さんのその言葉に、怒りが吹き飛んだ。
「……お父さま。『シャングリラ』を観てくださったんですか?」
私の問い掛けに、お父さんははっと口元を押さえた。
「観てくださったんですね!」
「いや、違う! 妻に聞いただけだ」
「本当ですか?」
お父さんの隣に座り、お顔を覗き込んだ。
達樹くんに似てる。お兄さんにも似てる。二人のお父さんなんだな、ってわかる……。
「……たまたまだ。妻にせがまれて……」
「嬉しいです! 私のこと、覚えてくださってましたか?」
「覚えてない! 一度観ただけだ!」
「ええ……そうなんですか……」
少し肩を落とすと、お父さんは溜め息をつき、煙草を取り出して火を点けた。
「……君は、あの舞台に出たきり、芸能の仕事をしていないんだろう」
「……? はい」
「それなのに、どうして、達が仕事に一生懸命だなんてわかるんだ」
お父さんの横顔は、苦しそうだけれど、自分を納得させて欲しいと思っているように感じた。
「わかりますよ。私は素人でしたが、お相手が達樹さんだったから、頑張れたんです。確かに最初は、私はただのファンでした。だけど、達樹さんの仕事に対する姿勢を知れば知るほど、達樹さんのことが好きになってしまうんです。いつだって仲間思いで、いい作品を作るために努力を惜しまない気持ちが、伝わるから……」
「……あの舞台以降、達が出演する舞台は、あの佐々木とかいう演出家のものばかりじゃないか。あいつしか使ってくれないんだろう」
「それは違います。一度達樹さんと仕事をすると、みんな、また達樹さんと仕事をしたいって思うんですよ。だから、佐々木さんはいつも達樹さんを使ってくださるんです。他の演出家の方の舞台もありますよ! 佐々木さんは特別、達樹さんを気に入ってくださっていて、相性もいいんです」
お父さんは何も言わず、煙草を咥えた。夕焼けに染まるその表情は、先ほどよりもいくらか穏やかに見える。
「……もう一度訊かせてくれ。達の何がよくて結婚したいんだ」
「達樹さんに欠点はありません。私には勿体ない方です。優しくて、真面目で、思いやりがあって、正直で……。いつだって、私のことを大切にしてくれて、私に何かあれば、必ず助けてくれます。こんな私のことを、愛していると、いつもまっすぐに伝えてくれます。そんな達樹さんのことを、私も心から愛しています」
言いながら、どこかで聞いたような台詞だと思ったが、それが先日、達樹くんが私の家族に話してくれた、私の好きなところだとすぐに気付き、くすぐったい気持ちになった。空を見上げながら紫煙を吐き出し、お父さんはぽつりと呟いた。
「……やっぱり、あなたは変わり者だね」
「そうかもしれませんね」
「恋人の父親に、初対面で噛み付いて来るとは」
「噛みっ……、そ、そんなつもりじゃ……!」
慌てると、お父さんは少しだけ笑ってくれた。
……やっぱり、達樹くんに似てる……。
「……お父さま、今度、達樹さんの出演する舞台、一緒に観に行きませんか?」
「え!? な、なんで私が……」
「行きましょうよ! 達樹さん、喜びますよ!」
「なんで達のために!」
「じゃあ、私のためならいいですか?」
「よくない! もう戻るぞ!」
「いいじゃないですかっ! 二人でがイヤなら、お母さまも一緒に!」
「もういい! みんな待っているんだろう!」
お父さんが立ち上がったところで、勝手口が開いた。振り向くと、達樹くんが恐ろしい形相で立っている。