078 シャングリラ後日談

□氷解
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雨上がりの街並みを眺めながら、私は達樹くんの運転する車に揺られていた。達樹くんが私の実家に挨拶に来てくれてから、およそ一ヶ月。今度は私が、達樹くんの実家に挨拶に行く番だ。六月に入り、蒸し暑い日が増え始めているが、そんなこととは関係なく、私はずっと嫌な汗をかいている。

「はあ……」

「まただよ。溜め息、何回目だよ!」

「当たり前だよ! もう死にそう……」

今日の為に買ったばかりの服が汗でだめにならないか、気が気でない。達樹くんと相談しながら、薄いブルーのパフスリーブのブラウスに、紺のフレアスカートに、ベージュのパンプスを合わせた。髪の毛も、いつもなら何もせず下ろしているだけだが、今日はハーフアップにアレンジした。達樹くんにもらった指輪を付けようか悩んだが、もしお手伝いをすることになれば邪魔になるだろうと外して来た。達樹くんとお付き合いして初めての誕生日にもらったエメラルドのピアスは外さずにいようと思ったが、こういう時、ピアスはネックレスとワンセットだと勉強し、外そうかと切り出すと、彼はわざわざエメラルドの一粒ネックレスを買ってくれた。

「まあ……俺も緊張するけど。実家久々だし。母さんと兄貴はともかく、親父がなあ……」

「お父さん、気難しいって言ってたね?」

「兄貴が結婚する時、奥さんが挨拶に来たけど、そん時も全然しゃべんなかったしなあ。今はそうでもないみたいだけど。でも、反対してるわけではないはずだから」

「そっか……」

怖くても逃げたくても、もうやるしかない。

とにかく笑顔で、礼儀正しく……!

ぐるぐる考えていると、達樹くんが声を上げた。

「見えた。あれだよ」

達樹くんが指さした先には、綺麗な一軒家があった。

「す……すっごい、きれいなおうち……」

「何年か前に俺が金出してリフォームしたんだよ。新築でもよかったけど、親父が引っ越したくないって言うから」

「そうなんだ……」

車を降り、表札の「Sakai」という文字を見て、そういえば達樹くんのサインも漢字じゃなくてローマ字だな……とぼんやり思った。すると、車の音に気付いたのか、玄関から女性が駆け寄って来た。

「達ちゃん! お帰り〜〜!」

「母さん、ただいま。頼むから今日は達ちゃんって呼ぶのやめて」

「なんでよ、いいじゃない! ちっとも帰って来ないんだからもう!」

「はいはい……。母さん、こちら、加納菜々さん」

「まあ!」

達樹くんのお母さんは、私を見て目を輝かせた。

「あ……初めまして。達樹さんとお付き合いさせていただいております、加納菜々と申します」

「ま〜〜! すっごく可愛らしいお嬢さんね! 達ちゃん、やるじゃない!」

ぎゅっと手を握られた。六十代半ばほどに見えるお顔に少しだけ驚いたが、達樹くんのお兄さんは彼より八歳年上だということを思い出し、納得した。

「初めまして、達樹の母です。わざわざいらしてくれて、ありがとう。どうぞ、上がってください」

優しい笑顔に安心したが、少しだけ拍子抜けした。

な、なんか、お姑さんって……もっと怖いイメージがあったけど、全然そんなことないかも。

達樹くんと違って小柄で、お顔もそんなに彼に似ているようには感じない。

「それにしても、達ちゃんが女の子を家に連れてくるなんて初めてね! この子ったら、女の子とお付き合いしてもふられてばっかりで、全然長続きしないんだもの!」

「ちょっ……母さん!」

「安心しちゃった! あんまりこんなことが続くもんだから、この子彼女にヘンなことしてるんじゃないかって心配だったのよ!」

「母さん!!」

二人のやりとりに、思わず笑ってしまった。

可愛らしいお母さんだな、仲良くなれそう……。

「お父さん、基! 達ちゃんが帰ってきたわよ!」

「ただいまあ」

「お、お邪魔します……!」

玄関に入り、できるだけ元気よく挨拶した。すると、階段から男の人が降りて来た。
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