078 シャングリラ後日談
□君と描く未来
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そして五月。私は二十七になった。その次の週に、漸く、達樹くんが実家に来てくれることになった。
「あー……緊張する……死にそう……」
「私もするよ……こわい……」
十八時、達樹くんの横顔が夕焼けに染まっている。マンションのエレベーターを待つ間、達樹くんは何度も溜め息をついていた。そんな彼を見ていると、私まで嫌な汗をかいてしまう。
「ほんとに、スーツじゃなくてよかったの?」
「大丈夫だよ。達樹くんがスーツなんて着たら、なんかもうオーラありすぎて、お父さんもお母さんもしゃべれなくなっちゃうもん」
「そうかなあ……あー、こええ……」
紺のジャケットに薄いブルーのシャツに深緑のネクタイを締め、ベージュのチノパンを履いた達樹くんは、スーツほどかっちりはしていなくても目が眩むほどかっこいい。
「手汗すげえ……8階だっけ? あ、着いた。あああ!! やべえ!!」
「大丈夫だってば! こっちだよ」
ドアの前に立ち、深呼吸した。
「メガネ外して? ちょっと待っててね」
「うん……」
鍵を開け、声を上げた。
「ただいまあ。お父さん、お母さん、涼太ー!」
「おおっ! 姉ちゃん、お帰り。父さんと母さん、呼んでくるわ」
「ありがと……」
ドキドキする心臓を押さえながら、両親を待った。暫くして玄関にやって来た両親もそれなりにきちんとした服装で、私は余計に緊張した。
「連れてきたよ。入ってもらうね」
もう一度ドアを開け、達樹くんに「いいよ」と声を掛けた。達樹くんは俯き、大きく深呼吸して、迷いを振り払うように顔を上げた。私も再び深呼吸し、両親と涼太に達樹くんを紹介した。
「お父さん、お母さん、涼太。こちら、坂井達樹さんです」
「お邪魔します。初めまして、坂井達樹と申します」
深々と頭を下げる達樹くんに、父も母も涼太も息を呑んでいる。本物だ、と思っているのが痛いほどわかった。
「本日はお時間を作っていただいて、ありがとうございます」
達樹くんが顔を上げて挨拶しても、父も母も何も答えなかった。そんな中、涼太だけは興奮を抑え切れないようだった。
「すげえ……坂井達樹だ、本物だ……」
涼太のその声に、父も母もはっとしたようだ。
「ああ、すみません。菜々の父です。こちらこそ、わざわざ足を運んでいただいてありがとう。どうぞ上がってください」
「あっ……菜々の母です。狭い家ですが、どうぞ……」
「ありがとうございます。お邪魔します」
父はさっさとリビングに行ってしまったが、母はまじまじと達樹くんを観察している。涼太は小声で私に話し掛けて来た。
「姉ちゃん、マジすげえ。実は疑ってたけど、本物じゃん……!」
「だから言ったでしょ……。とにかく、座って話そう」
リビングに入ると、達樹くんは母に手土産を渡してくれた。
「あの、菜々さんのお母さん。こちら、良かったら召し上がってください。おいしいと評判のものなので」
「まあ……わざわざ、ありがとうございます……」
母はまだ信じられないというように達樹くんを見ている。父はとにかく早く話をしたいというように、達樹くんをテーブルに促した。
「坂井さん、どうぞ座ってください。母さんも菜々も涼太も座って」
「はい。失礼します」
全員が席に着くと、重い沈黙が流れた。達樹くんを見ると、言葉を選んでいるのが強く伝わって来た。