078 シャングリラ後日談

□君と描く未来
4ページ/14ページ

そして五月。私は二十七になった。その次の週に、漸く、達樹くんが実家に来てくれることになった。

「あー……緊張する……死にそう……」

「私もするよ……こわい……」

十八時、達樹くんの横顔が夕焼けに染まっている。マンションのエレベーターを待つ間、達樹くんは何度も溜め息をついていた。そんな彼を見ていると、私まで嫌な汗をかいてしまう。

「ほんとに、スーツじゃなくてよかったの?」

「大丈夫だよ。達樹くんがスーツなんて着たら、なんかもうオーラありすぎて、お父さんもお母さんもしゃべれなくなっちゃうもん」

「そうかなあ……あー、こええ……」

紺のジャケットに薄いブルーのシャツに深緑のネクタイを締め、ベージュのチノパンを履いた達樹くんは、スーツほどかっちりはしていなくても目が眩むほどかっこいい。

「手汗すげえ……8階だっけ? あ、着いた。あああ!! やべえ!!」

「大丈夫だってば! こっちだよ」

ドアの前に立ち、深呼吸した。

「メガネ外して? ちょっと待っててね」

「うん……」

鍵を開け、声を上げた。

「ただいまあ。お父さん、お母さん、涼太ー!」

「おおっ! 姉ちゃん、お帰り。父さんと母さん、呼んでくるわ」

「ありがと……」

ドキドキする心臓を押さえながら、両親を待った。暫くして玄関にやって来た両親もそれなりにきちんとした服装で、私は余計に緊張した。

「連れてきたよ。入ってもらうね」

もう一度ドアを開け、達樹くんに「いいよ」と声を掛けた。達樹くんは俯き、大きく深呼吸して、迷いを振り払うように顔を上げた。私も再び深呼吸し、両親と涼太に達樹くんを紹介した。

「お父さん、お母さん、涼太。こちら、坂井達樹さんです」

「お邪魔します。初めまして、坂井達樹と申します」

深々と頭を下げる達樹くんに、父も母も涼太も息を呑んでいる。本物だ、と思っているのが痛いほどわかった。

「本日はお時間を作っていただいて、ありがとうございます」

達樹くんが顔を上げて挨拶しても、父も母も何も答えなかった。そんな中、涼太だけは興奮を抑え切れないようだった。

「すげえ……坂井達樹だ、本物だ……」

涼太のその声に、父も母もはっとしたようだ。

「ああ、すみません。菜々の父です。こちらこそ、わざわざ足を運んでいただいてありがとう。どうぞ上がってください」

「あっ……菜々の母です。狭い家ですが、どうぞ……」

「ありがとうございます。お邪魔します」

父はさっさとリビングに行ってしまったが、母はまじまじと達樹くんを観察している。涼太は小声で私に話し掛けて来た。

「姉ちゃん、マジすげえ。実は疑ってたけど、本物じゃん……!」

「だから言ったでしょ……。とにかく、座って話そう」

リビングに入ると、達樹くんは母に手土産を渡してくれた。

「あの、菜々さんのお母さん。こちら、良かったら召し上がってください。おいしいと評判のものなので」

「まあ……わざわざ、ありがとうございます……」

母はまだ信じられないというように達樹くんを見ている。父はとにかく早く話をしたいというように、達樹くんをテーブルに促した。

「坂井さん、どうぞ座ってください。母さんも菜々も涼太も座って」

「はい。失礼します」

全員が席に着くと、重い沈黙が流れた。達樹くんを見ると、言葉を選んでいるのが強く伝わって来た。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ