078 シャングリラ後日談

□君と描く未来
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達樹くんのマンションに着く頃、時刻は零時前だった。いつもなら連れ立ってマンションに入ることは躊躇われるのだが、今日はすっかりそんなことが頭から抜け落ちていた。エレベーターに乗り込むと、達樹くんにやっと話し掛けられた。

「何聴いてたの? 俺のラジオ?」

「ううん。金曜の。さすがに、本人目の前にしては聴けない」

「あはは。菜々ちゃん、すっかりラジオリスナーになっちゃったね」

「うん。ながらで聴けるから、気軽でいい」

言いながら、イヤホンを鞄にしまった。

やっぱり、二時間弱だとエンディングまで聴けなかったな……金曜日までに聴こう……。

そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にか達樹くんの部屋に着いていた。扉が閉まると、眼鏡を外した達樹くんに顔を覗き込まれた。

「菜々ちゃん。機嫌悪いね」

えっ!?

「な、なんで? そんなこと……」

「さっきから、全然俺の目見てくれない。しゃべり方もいつもと違うし。どうしたの?」

ええっ……そうかな? 自分ではわかんない……。

戸惑ってしまい、何も言えずにいると、また耳元に唇を寄せられた。

「そんなに、お預け食らったのが我慢できなかった?」

ぶわ、と全身から汗が噴き出た。

「ちっ……違うよっ!!」

「ほんとかよ。じゃあ、何?」

「……えっと、ええと……」

わからないなりに、考えてみた。

「えっと……だって……。達樹くん、全然平気そうなんだもん……」

「平気って?」

「あ、あんなことして……私だけ、ドキドキして、達樹くんは、平然としてるから……」

モゴモゴと呟くと、達樹くんはニヤニヤして私を抱き締めた。

「平気なわけねーだろ。俺だって早くこうしたかったよ。でも……菜々ちゃんの地元だし、誰がどこで見てるかわかんねえし、理性総動員したよ」

「……ほんとに?」

「それなのに、あんな顔で、あんな声で『ダメだよ』なんて言うから……もうマジでやばかった」

「あう……だって……達樹くん、めっちゃかっこよかったんだもん……」

そう言うと、達樹くんは明るく笑った。

「なんだよそれ! 俺のせいかよ!」

「そーだよ! もう全部、達樹くんがかっこよすぎるのが悪いよ!」

「意味わかんねえ! 当て逃げだよこんなもん!」

笑いながら、達樹くんは靴を脱いだ。

「はあ、とにかく入って座ろう。もうマジで疲れたわ」

「……そうだね。達樹くん、明日お仕事は?」

「明日は9時に家出ればいいかな。8時起きとしても、まあまあ寝れるな」

今日は土曜日なので、私は明日も休みだ。どうしようと考えていると、考えを読んだように達樹くんが言った。

「俺が帰って来るまで、部屋で待ってる?」

「な……待たないよっ! もし遅くなったら、私、帰れないじゃん!」

「ここから出勤すりゃいいじゃん。結婚したら、そうなるんだよ」

はっ……。

そっか……結婚したら、同じ家に帰って、同じ家から出掛けるんだ……。

付き合い始めの頃は、あんなにお泊まりを恥ずかしがっていたのに、いつからか、会う時は、どちらの部屋でも必ずお泊まりするようになっていた。もう、どちらの部屋にも、それぞれの生活用品が備えられている。最初はそれが恥ずかしかったが、慣れとは恐ろしいもので、それも心地良く感じ始めていた。だけど、結婚すれば、同じ家で生活するようになる……。

「や〜〜……そんなこと言わないで!」

「なんでだよ。ほんとにそうなるのに」

「そうだけど! どっちにしても、週末で制服持って帰ってるし、帰らないと出勤できない!」

「じゃ、月曜の朝に部屋に送ればよくね?」

「私、いつも7時半に家出てるんだよ! それに間に合うように送ってくれるの?」

「うえー、7時半! 6時半にここ出るとして……はえーなあ……」

頭を掻く達樹くんに、つい笑ってしまった。が、ジャケットをソファの背もたれに投げ、そのまま勢いよくソファに座って緩めていたネクタイを外す達樹くんを見て、私はその場にへたり込んでしまった。

「ええっ!? どーした!?」

「も〜〜……達樹くん反則っ!!」

「おお。久々に聞いたなそれ。何が?」

「今のもっかいして? 立って! ネクタイして! ジャケット着て!」

「え!? マジで何!?」

そして、達樹くんはもう一度、ジャケットをソファの背もたれに投げ、ソファに座りながらネクタイを緩めてくれた。

あーーー!!! もう、尊い!!!

「これでいいの?」

「うん。かっこよすぎる。ありがとうございます!」

「あー、なんか普通のサラリーマンっぽい感じすんのかな?」

「うーん、わかんないけど……。でも、ネクタイを緩めるのは、色っぽい仕草の鉄板だよ!」

「ふーん……?」

不思議そうにしながらも、達樹くんはもう一度ネクタイを締め、眼鏡も掛けてくれた。

「どう? 男前?」

「うん。世界一男前」

「ぶはっ! まあまあ本気で言ってそうなのがこえーんだよなあ」

「いやまあまあじゃなくて100パー本気だから! ね、次はメガネしたままネクタイ緩めて?」

隣に座り、わくわくしながら言うと、やれやれと言うように達樹くんは左手でネクタイを緩め、右手で私の肩を抱き寄せた。

「お待たせ。菜々」

どきん! と心臓が脈打った。忘れ掛けていたのに、また体がじんわりと熱くなる。口付けられると、あっと言う間に思考が蕩けた。

「機嫌直った?」

「や……もお!」

「いいから、早くしてって?」

「〜〜〜! ばかっ!」

くっくっと笑い、達樹くんは私の首筋に吸い付いた。いつもなら、こうしてソファに組み敷かれると、ベッドに行きたいと訴えるのだが、もう何も考えられない。

「菜々……ここでいいの?」

「ん……っ、いい……はやく……っ」

「可愛い……そんな欲しかった?」

「や……! いじわるっ……!」

「可愛いよ。菜々……愛してる」

達樹くんの眼差しに、声に、手に、唇に、何もかもに全身が悦ばされる。お泊まりが当たり前になった時みたいに……結婚したら、この感覚に慣れてしまうのかな? そんなの、絶対イヤ……耐えられない……。

「達樹……おねがい。ずっと、愛して……これからも……」

「……なんだよ。そんなん、当たり前だろ。結婚するんだから」

「ん……」

達樹くんのこの言葉に、きっと嘘も間違いもない。本気で言ってくれているはずだ。それが事実にはならないかもしれないけれど、今、達樹くんがこう思ってくれているということを忘れないようにしよう。先が見えない未来を嘆くより、今この瞬間を積み重ねて、未来に繋げていけるように……。

目に浮かぶ涙をごまかすように達樹くんの首に腕を回し、二人の意識が混ざり合う感覚に私はただ身を任せて行った。
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