078 シャングリラ後日談
□三位一体
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そして、次の日がやって来た。上がる直前にお客さんが数組来店し、タイムカードを押せたのは二十時半前だった。急いで家に戻り、シャワーを浴びて、晩ご飯を作っている最中に、達樹くんから電話が掛かって来た。
『菜々ちゃん、お疲れ。今終わったよ』
「お疲れさま! 今、ご飯作ってるからね」
『ありがとう! 腹減ったぁ……。なんか、今のやりとり、新婚みたいだなあ』
新……ええっ!?
「な、何言ってんの! もう……」
『ふふ。あと30分くらいで着くよ。今日のご飯、なに?』
「今日は肉じゃがと……」
『肉じゃが! やっぱ新婚じゃん!』
「もー! 何それっ! ご飯作るから、後でねっ!」
『あはは! ありがとう。待っててね』
電話を切っても、熱くなった体はなかなか落ち着いてくれない。今になって、こんなことでドキドキしていて、一緒にドラマを観るなんて大丈夫かなあ、と心配になって来てしまった。
ご飯ができあがったタイミングで、達樹くんが部屋を訪れてくれた。ちょうどご飯できたよ、食べよう! という自分の言葉に、本当に新婚みたい……とどぎまぎしてしまう。達樹くんは全く気に留めていないようで……というよりも、この後のドラマ鑑賞の方に気を取られているようだ。
「菜々ちゃん、マジで『シーソーゲーム』観るの?」
「観たいと思ってたんだけど……達樹くん、イヤ? 気まずい?」
「えーと……んー……こんなの初めてだから、自分がどんな気持ちかもよくわかんなくて……」
確かに、達樹くんの出ている作品を、二人で観るのは初めてだ。
「前の彼女さんとも、自分の作品、観たことないの?」
「ぅえっ……菜々ちゃん、よくそんなこと平気で訊くなあ」
「あ、ごめん。言いたくなかったら、いいよ」
「いや、いいけど……。えーと……何回かある。『やっぱりテレビの中の達樹の方がかっこいい』ってその度に言われて、イヤだったなあ……」
そう言って、達樹くんはお味噌汁を口に含んだ。無神経なこと訊いちゃったな、と反省していると、達樹くんが溜め息をついて言った。
「それにしても、平気で元カノの話を訊いてくるなんて、菜々ちゃん、余裕だな。これなら、今日の放送も余裕で観れるかもな」
「よ……余裕ってわけじゃ……。だって、今付き合ってるのは、私……でしょ?」
そう言うと、達樹くんはふっと笑った。
「そうだね。俺もトラウマ払拭したいから、気合い入れて観るよ」
もしかして、元カノとのイヤな思い出があったから、私とも一緒にドラマを観る気にならないのかな、とぼんやり考えた。食器を片付けてお茶を淹れると、放送まであと十五分を切っていた。いつもの癖で前髪をてっぺん結びにすると、達樹くんがまじまじと覗き込んで来た。
「菜々ちゃん、かわいー! 珍しいね。髪の毛結ぶの」
「あ……うん。達樹くんの出てるの観る時はいつも結んでるよ。邪魔だし、集中して観たいから」
「マジかよ……こえーよ!」
「ええー? まさか一時間ずっとイチャイチャしてるんじゃないでしょ?」
「いやまあ、そうだけど……終盤、つーかラスト……」
「あー!! 言わないで!! ネタバレ!!」
「すげえいい視聴者……」
クッションを抱き締めて、ソファに体育座りした。早く来て! というようにソファの隣のスペースをぼふぼふ叩くと、達樹くんは苦笑いした。
「そんな楽しみ? ほんと、余裕だなあ」
「そんなことないよ! なんだかんだで、ドキドキする……」
「俺もすげーする……」
「でも、先週、南ちゃんと久瀬さん、いい感じになったのに、ここから浅海さん、付け入る隙あるの?」
南ちゃんとはヒロインで、久瀬さんは相手役、浅海さんが達樹くんだ。先週の第五話の段階で、久瀬さんは南ちゃんに好きだと告白し、二人は付き合うことになったのだ。
「さあ、どうかな。このままじゃ浅海は引き下がらないよ」
ニヤッと笑う達樹くんに、違う意味でドキドキしてしまう。ごまかすように、達樹くんの手を握った。
「……終わるまで離さないで?」
クッションから目だけを覗かせてお願いすると、きゅっと握り返してくれた。
「すげえ汗かきそう……」
「やっ、やめて! 意識して私まで汗かく!」
そうこうするうち、放送が始まった。序盤は、南ちゃんと久瀬さんが仲良く仕事をしている微笑ましい展開だった。それを複雑な表情で見つめる浅海さんが切なくて気の毒で、CMに入ると、どうなるの、どうなるの! と達樹くんに目で訴えてしまう。それが中盤になると、二人はほんの些細なすれ違いでケンカになってしまう。職場でもそれを引きずっていて、南ちゃんは久瀬さんにあからさまに冷たい。久瀬さんも南ちゃんに当てつけるように、南ちゃんに聞こえるところで他の女性社員と食事に行く約束を取り付けていて、南ちゃんは仕事が手に付かなくなってしまう。結局、南ちゃんは残業することになり、帰って行く同僚を見送ってオフィスに一人きりになると、南ちゃんの目から大粒の涙が溢れた。
その時、オフィスに浅海さんが現れた。慰めようとする浅海さんを南ちゃんは拒絶するのだが、浅海さんは南ちゃんを壁に押し付け、無理矢理キスをして、南ちゃんに自分の気持ちを告白した。南ちゃんが呆然とする中、テーマソングとエンドロールが流れた。
「………」
放送が終わってCMに入っても、私は動けなかった。達樹くんの右手を強く握ったままの私の左手は、恐らく大量の手汗をかいているのだろうが、そんなことに全く意識が行かない。いつまでも黙ったままでいる私を心配してくれたのか、達樹くんが恐る恐るというように声を掛けて来た。
「菜々ちゃん……あの、あれは芝居で、演技で、仕事でやってるだけだから……」
「達樹くん」
「はいっ!」
怯えたように姿勢を正す達樹くんに顔を突き付けた。
「私にも、今のやつやって!」
「……へっ!? 今のやつって……あれ? 壁ドン?」
「そう!」
正直、自分の彼氏が他の女の子にキスしてるとか、そんなことよりも、ただただ、達樹くんがかっこいい……!! 私も壁ドンされたい!!
「何かと思ったよ……そんなんでいいなら、いくらでもやるよ」
「あ、できれば、台詞もつけてほしい!」
「え!? 台詞!? お、覚えてな……」
「録画してるから、覚え直して!」
「マジかよ……」
リモコンを操作していると、達樹くんははーっと溜め息をついて言った。
「それなら、菜々ちゃんも南の台詞覚えてね」
「え!? 私も!?」
「で、役名も、坂井と加納でやるから。本気で行くよ」
「ええっ……私、できるかなあ……」
「できるよ。南は浅海より台詞少ないし。『シャングリラ』の主演張ってただろ!」
「うー……わかった……」
「浅海が登場するとこからね!」