078 シャングリラ後日談
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「達樹くん……私といるのに、さっきから怒ってばっかりで、ぜんぜん、楽しそうじゃない……。ほんとに、私のことすきなの?」
言い終えて、菜々ちゃんは目だけを俺の方に向けて睨んだ。
何を言い出すかと思えば……。
「好きだよ。いつも、好きだよって言ってるのに」
「いつもはね! きょうはずっと怒ってる!」
「怒ってな……うっ!」
言い掛けると、菜々ちゃんは勢い良く俺に抱き付いた。
「私はこんなに、達樹くんのことがすきなのに! 達樹くんがいなきゃ生きていけないのにっ! 私ばっかりすきみたいでずるい!」
「菜々ちゃ……!」
口付けられ、脳がぐらついた。
何なんだ、もう……普段、そんなこと考えてんのか? 可愛すぎんだろ!
薄く目を開けると、ショートパンツから伸びる菜々ちゃんの脚が見えた。
やべえやべえやべえ!!
唇を離し、俺を見つめる菜々ちゃんの瞳は、熱に浮かされたように潤んでいる。慌てて俯くと、タンクトップの襟刳りと菜々ちゃんの胸元がある。思わず頭を振った。
「菜々ちゃん、ちょっと離れ……」
「なんでー! やっぱり、私のことすきじゃないの!?」
とろりとした瞳で見つめられ、理性が飛びそうになる。ダメだダメだ、いくら付き合っている彼女でも、酔っぱらった女の子に手を出すなんてことは……。
「達樹くん、すき……」
猫のように首筋に擦り寄られる。押し退けようと思っても、腕に力が入らない。啄むように何度も口付けられ、目眩がしそうになるのを必死で堪えていると、泣きそうな声で菜々ちゃんが小さく呟いた。
「なんで、ぎゅってしてくれないの……?」
……あああ!!
「菜々……調子乗んなよ!!」
張り詰めていた糸が切れ、力任せに菜々ちゃんを押し倒した。両手首を頭の上で纏め上げても、全く状況が読めていないぼんやりとした目で俺を見上げている。
「菜々のせいだからな……」
歯ぎしりしたい気持ちを抑えながら絞り出すように言うと、菜々ちゃんは大きく息を吸い込み、ぎゅっと目を瞑った。
「……申し訳ありません! すぐ、先方に連絡します……っ」
……はあ!?
一瞬意味がわからなかったが、昼間、職場で失敗した時のことを思い出したのだろうと、合点が行った。職場でも怒られて、俺にまでこんな態度を取られたら、菜々ちゃんは……。
自責の念に駆られ、手首を放し、ぎゅっと菜々ちゃんを抱き締めた。
「……ごめん、菜々ちゃん。大丈夫だよ、もう仕事は終わってるから」
菜々ちゃんは何も言わなかった。体を離して顔を覗くと、またさっきと同じ、ぼんやりとした目をしている。
「大丈夫。俺がいるから」
そっとキスをして、もう一度顔を覗くと、今度はうっすらと笑っている。
「達樹くん……すき……」
「うん、俺も好きだよ」
「ぎゅってして……」
もう一度抱き締めた。なんとなく後のことが怖くなり、みっともないとは思いながらも、一応確認することにした。
「菜々ちゃん……えーと……いいかな……」
「……なにが?」
「えーと……抱いても……」
目を泳がせながら尋ねると、菜々ちゃんは怒ったような声を上げた。
「私、やだっていったことない!」
いやウソつけっ!! 何回もあったわ!!
心の中でツッコミを入れながらも、とりあえず安心した。
「まあ……明日には覚えてねえだろーし、いいか。容赦しねえからな」
散々、煽られた礼だと言うように、唇を味わった。普段とは違う酒の味に不快感と新鮮味を覚え、そんなものにさえ煽られているような気になる。酒のせいで箍が外れているのか、菜々ちゃんも普段よりいやに大胆だ。
「あ……っ、達樹くん……きもちいよお……」
「菜々……呼び捨てにしろよ」
「いたっ! かまないでっ」
「痛い? これは?」
「ん……きもちい……」
顔を上げると、あのとろりとした瞳に見つめられた。
「達樹くん……もっとして……」
「達樹、だろ。呼べよ」
「あ……っ! 達樹……達樹、すき……」
「菜々……俺も好きだよ、菜々……っ」
「あっ、達樹、キス……して、キスして……」
ああ、もう本当に……。
達樹くんがいなきゃ生きていけない、私ばっかり好きみたいでずるいなんて、よくそんなことが言えたものだ。俺の方こそ、菜々がいないともう生きて行けない。自分ばかりが好きだと思っているようだなんて、いつも俺が考えていることだ。
こんなに愛しているのに、なぜ伝わらないんだろう。俺が坂井達樹だからか。俺が坂井達樹だから……それだけで、菜々に劣等感を抱かせてしまうなら、他のどんな人からの賞賛も、舞台で浴びるスポットライトも、鳴り止まない拍手も、声援も花束も……何もかも欲しくない……。
「達樹……好き……、愛してる……。そんな顔しないで……」
その声にはっとした。さっきまで呂律が回っていなかったのに、酔いが醒めたようなはっきりとした菜々の口調に、そのままでいいと言われた気がして、心臓が掴まれるような感覚に陥った。
「かなわねーなあ……」
「え……?」
「菜々……愛してる」
口付けると、気のせいだったのか、いつもより激しく舌を絡められた。どんなに唇を合わせても、愛を囁いても、一番深い所で繋がっても、一つになれないことがもどかしくもあるのだが、二人だからこそ、一つになろうと試行錯誤することができるのだと、菜々が教えてくれたような気がした。