078 シャングリラ後日談
□家族に
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嫌がる三人を宥め賺して、看護師さんに家族写真を撮ってもらい、面会時間が終わるまで家族で過ごした。そして久し振りに涼太と実家に戻り、久し振りに母のご飯を食べ、また連絡するねと別れた時には、もうだいぶ深い時間になっていた。今から帰れば、最寄り駅に着く頃には日付が変わりそうだ。とりあえず、心配してくれているであろう達樹くんに、『遅くなってごめんね。お父さん元気そうだったよ。今から帰るね』とラインした。
「うわ……」
また、電車とバスを乗り継いで下宿先に戻る。駅と駅を移動する間に、雨が降り始めた。いつもは持っている折り畳み傘を、今日に限って持っていない。昼間はバイトをしていたのもあって、雨に打たれてしまうと、すっかりへとへとになった。すると、達樹くんから『連絡ありがとう。雨降ってきたし、駅まで迎えに行くよ』と返信があった。
駅に着き達樹くんに連絡すると、彼は少し離れた暗い路地に車を停めているとのことだった。鞄を傘にして、水溜まりを避けながら走る。車に乗り込むと、達樹くんはタオルと、ミルクティのペットボトルを差し出してくれた。
「お帰り。雨、急に強くなったね」
「ありがとう……。達樹くん、今お仕事終わったの?」
「ちょっと前にね。そんなに待ってないから大丈夫だよ。お父さん、どうだった?」
「全然、元気そうだった! お母さんも弟も元気そうで、安心したよ」
「そっか……よかった……」
本当に安心したように、達樹くんは視線を落とした。
「菜々ちゃんって、本当に親御さんに大切にされて育ったんだなあっていうのが、すげえ伝わってくるんだよね」
「えっ!? なんで?」
「部屋を決める時にお父さんがついてきてくれたとかさ。菜々ちゃんが名前の由来を話してくれた時も、親御さんのこと好きじゃなかったら、そんな話してくれないと思ったから」
「そうかなあ……」
自分ではわからないが、達樹くんが言うなら、そうなのかも。
「……涼太がね。……あ、弟だけど。この前の週刊誌の記事のこと、友達にいろいろ訊かれたって。現実にならないのかって言われた。全然信じてなかったよ」
「あははっ! マジで? 身内だと信じられないのかな」
「坂井達樹の弟になりたいって。お父さんも、坂井達樹みたいな男前だったら大歓迎だって言ってた」
「おおっ! いいじゃん! 挨拶行こう!」
「ウソだと思ってるから、こんなこと言うんだと思うけどね」
「ええ……? なんだよ、上げておいて落とすなあ」
「ふふ。あっ、そうだ。みんなで写真撮ったの。見て!」
「マジ!? 見せて見せて!」
達樹くんは目を細めて、ゆっくりと写真を眺めた。
「ああ……本当だ。菜々ちゃん、お父さんに似てるなあ……。弟さんは確かに、お母さん寄りだね。お父さん優しそうだなあ」
「小さい頃から、お父さんのことは大好きだったの。お母さんも好きだけど、もう、いちいち小言がうるさくって」
「うちも同じだよ。でも……俺も実家帰んねえとなあ。兄貴はまあ、たまーに会うけど、親父と母さんはほんとに会ってねえわ」
達樹くんは遠くを見つめて、離れて暮らす家族に思いを馳せるようだった。雨が窓を叩く音だけが車内に響き、どことなく気まずく感じてしまう。自然と、この前達樹くんと話したことが思い返され、いつか、挨拶に……と思っていると、達樹くんも同じことを考えたのか、私の方に向き直って言った。
「菜々ちゃん。この前言ったこと……俺は本気だよ。今すぐには無理だけど、いつかちゃんとご両親に挨拶して、二人のこと認めてもらいたいって思ってるから。どれくらい先になるかわからないけど……それまで、待っててほしい……」
そう言ってもらえるのはもちろん嬉しいし、私だっていい加減な気持ちで達樹くんと付き合っているわけではない。ただ、付き合うことになって一年も経っていないし、私はまだ二十一だ。達樹くんだって二十四で、これからまだまだ、俳優の仕事が忙しくなるはずだ。あまりに現実離れしているように思えて口を噤んでいると、達樹くんは眉根に皺を寄せた。
「なんだよ。疑ってんな?」
「ち、違うよっ! ただ、えっと……。まだ、お付き合い始めて、日も浅いし……二人とも若いし……この先どうなるかなんて……」
言いにくかったが、言葉を選びながら本音を口にした。達樹くんは溜め息をつきながら、シートに体を預けた。
「確かにな……。でも、もし菜々ちゃんが、俺が付き合って来た彼女みんなにこういうことを言ってる軽い男だと思ってるなら、誤解だよ」
「そ、そんなこと思ってないよ!」
「菜々ちゃんの言うことももっともだけど……。まあ、長い時間かけて、菜々ちゃんに信頼してもらえるようにがんばるよ」
「疑ってないってば!」
少し残念そうな顔の達樹くんを見ていると、彼の言葉に嘘はないことはよく伝わって来る。それでも、私はまだ大学生で、結婚なんて考えたこともないし、まさか達樹くんがいずれ私と結婚したいと思っているなんて、もっと考えられなかった。
どれくらい先になるかわからないけど、か……。
きっとこれから、色々な壁にぶつかるだろうし、ケンカもするだろうし、嫌気が差すこともあるだろうけど……もし、それを乗り越えられたら、私もいつか、達樹くんとの将来を具体的に考えるようになるのかな?
そうは思っても、今はとりあえず、達樹くんが私のことを真剣に考えてくれているという事実だけで、もう胸がいっぱいだ。
先ほど家族で撮った写真を眺めてから、達樹くんの横顔に視線を移し、遠い未来を少しだけ想像してみた。気付くと小雨になっている。窓の向こうを伝う雫を指でなぞり、雨に煙る月をぼんやりと見つめた。
END