078 シャングリラ後日談
□翻弄
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『あはは! やっぱりね。だろうと思ったよ』
終業後、事務所を出て、朝のことを話そうと達樹くんに電話すると、彼の反応は予想外のものだった。
「な、なにそれ。わかってたの?」
『んー、なんとなくね。勘だよ、勘。好きな子に意地悪したいっていう心理をこじらせちゃってたんだよ』
「めっちゃくちゃ迷惑なんだけど……」
『だから、バラさないだろうなって思ったんだよ。あいつにメリットないし。菜々ちゃんのこと好きになられるのは気に入らないけど』
「達樹くんより魅力的な男の人なんていないよ。心配しなくても」
『あはは……ありがたいけど、そんなことないよ。だからってあんなやつに俺の菜々ちゃんがちょっかい出されたら面白くないよ』
お……「俺の菜々ちゃん」って……。
こっそりドキドキしていると、達樹くんは息をついて淡々と話した。
『菜々ちゃんは、自分ではわかってないみたいだけど、すごく可愛いし、真面目ないい子だから、男が寄ってくるんだよ』
「ええっ!? そんなことないよ!!」
『やっぱりわかってねえ……』
「たぶん、私と達樹くんだったら、達樹くんを選ぶ男の人の方が多いよ」
『ええ!? なんだそれ!! 男にモテたくねえ……』
二人で笑い合った。すると、達樹くんがとんでもないことを言い出した。
『じゃあ、これから、あいつは俺の恋のライバルってことだよな。上等だ』
「なっ……何言ってんの! 前も言ったけど、東さんが100人束になってかかって来ても達樹くんに及ばないよっ」
『全力で行く、って言われたんだろ? 俺も……って、俺は常に、全力で菜々ちゃんに愛情注いでるつもりだけどね』
「ふふ……伝わってるよ」
『もし、卑劣なことされたりしたら、すぐ言って。フェアプレーで来いって、伝えてね』
「もう! 何それ!」
『じゃあ、そろそろ行くね。菜々ちゃん、ラジオ聴きながら歩くなら、周りに気をつけてよ!』
「ありがとう。今夜の分も楽しみにしてるね!」
通話が途切れた。約束した通り、事務所から駅まで歩く間と、最寄り駅に着いてから家までの間は、ラジオは我慢して、電車に乗っている間だけにすることにした。歩き始めると、また東さんが後ろから付いて来た。
「加納さん。電話終わった?」
「聞いてたんですか!? 趣味悪っ」
「人聞き悪いな。見てただけだよ」
「同じことですよ!」
そして、自然と横に並ばれた。
「隣を歩かないでください!」
「だって、送るって言ったら断るだろ?」
「当たり前です!」
「電話、坂井達樹だろ。何だって?」
「フルネームで呼ばないでください!」
「注文が多いなあ……じゃあ、坂井でいいか」
「呼び捨てやめてください!」
「何だよ! あいつ25だろ? 年下じゃねーか!」
「26です! 今年27です!」
「変わんねーよ! それでも年下だよ!」
精一杯早歩きしているのに、やっぱり男の人の歩くスピードは速く、振り切れない。立ち止まり、溜め息をつく。
「何なんですか、もう……」
思わず苦笑いすると、東さんが目を輝かせた。
「笑った! 笑ってるの、入社の時以来久々に見た! すげえ可愛い!」
「は!? 笑ったって……苦笑いじゃないですか」
「笑顔は笑顔だよ。いつもそうしてればいいのに」
「大きなお世話です」
また溜め息をつき、東さんに向き直る。
「東さん、彼は『上等だ、フェアプレーで来い』って言ってました。私も同じ気持ちです。何をされても、言われても、私にとって、彼以上の人はいません。どうぞかかって来てください。絶対負けませんから」
今度は苦笑いではなく、ちゃんと東さんに笑い掛けた。返事を待たずに、踵を返して駅へ走る。電車に乗り込み、漸くイヤホンを携帯に差した。
『……続いて兵庫県ラジオネーム【チ地下鉄リーマン】。【社内のマドンナに恋をしましたが、彼女は社内一ガラの悪いヤンキー営業と付き合っているらしいです。坂井さんは女性にフラれたことなんてないでしょうが、何かアドバイスを頂きたいです。】おい! イジってんな! 地下鉄リーマン、こいつ先週新歓でゲロスベリしたっつってなかったか? 切り替え早すぎんだろ! そのメンタルがあれば大丈夫だよ!』
聴きながら、もうおかしくて笑いが堪えられない。外を歩いていればまだごまかせるが、電車の中だと怪しい人感が倍増してしまう。
『あのなー、そんなことで諦めてどうすんだよ。スラダンの安西先生から何を学んだんだお前は! あきらめたらそこで試合終了なんだよ! フラれてもいーじゃねーか! 山王の堂本も言ってんだろ! 負けたことがあるっつーのがいつか大きな財産になるんだよ! マジで、SLAM DUNK読んだことないリスナーは来週までに全員読むように!』
達樹くん、ごめん。私、読んだことないし、今から今夜の放送までに読む時間もない……すいません。
『女性にフラれたことなんてないでしょうが、って、言っとくけど、俺今まで付き合った彼女、自分からフったことないっすからね。全員に、軒並み、片っ端からフラれてますからね! 勝手に……って、ちょっと! 今作家が! 俺の性格に問題があるって!! なんだよもう!!』
肩が震えてしまう。
あー、もう、おかしすぎる! もうダメ!!
不審者と思われて通報されては困るので、一旦停止してイヤホンを外した。薄暮に溶けて行く街並みを眺めながら、達樹くんの言葉を頭の中でゆっくりと反芻する。
あきらめたらそこで試合終了、か……いい言葉だな。なんだか、そんなわけないのに、東さんに向けて言ってるみたい。あきらめてくれないと、困るけど……。
……いや、私にも、あてはまる言葉だ。私も、達樹くんとの幸せで平穏な日々を、あきらめない。
次の土日には漫画喫茶に行ってSLAM DUNK読もう。感想を話したら、喜んでくれるかな。達樹くんの反応を想像しながら、駅へ流れて行く人混みに私も体を預けた。
END