078 シャングリラ後日談
□深海
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そして、『泡沫』の公開日、私は仁美と映画館に来ていた。仁美はショップであれこれとグッズをカゴに放り込んでいる。いつもなら私も色々と買い漁るのだが、なんとなく気が向かず、パンフレットだけをレジに持って行った。
「あれ? 菜々、パンフだけでいいの?」
「……うん。グッズは達樹くんにもらえたから」
咄嗟に嘘をついた。達樹くんはいつも、雑誌でもグッズでもチケットでも、いくらでもあげるよ、と言ってくれるのだが、私はできるだけ自分で働いて稼いだお金でそれを買いたい気持ちがあり、家計が苦しい時以外は彼の申し出を断っていた。
「そーなの? いいなあ。ねえ、始まるまでちょっとパンフ見ようよ」
「え……いいよ、私は映画の後で見る。ネタバレになるもん」
こういう時、仁美は鋭い。
「……なんか、菜々、変だね。ほんとはあんまりこの映画観たくないんじゃない?」
わかりやすく、ぎくっとしてしまう。考えないようにしていても、達樹くんと早川楓のラブシーンを今から観なくてはならないと思うと、どうしても気が進まない。
「珍しいね。いつも達樹くんのどんな映画もドラマも『カッコいい!!』って楽しんで観てるじゃん」
「うーん……自分でも何でだかわかんないんだけど……」
「あ。菜々、付き合うようになってから、達樹くんの恋愛物って何か観た?」
「あ……言われてみれば、あんまり観てないかも……別に観ないでおこうと思って観てないんじゃないんだけど……」
「無意識に避けてるんじゃない? 今回、特に相手が早川楓だもんね〜。あの舞台挨拶、私めちゃくちゃ腹立っちゃったもん。ネットでもやっぱり評判よくないしね、ベタベタしすぎだって」
舞台挨拶……私も観ててつらかったな……。
そうこうするうちに時間がなくなり、私と仁美は慌てて席に着いた。
映画のシナリオは、達樹くん演じる主人公の大学生が、早川楓演じる若い未亡人に溺れ、情熱を傾けるも、早川楓は達樹くんに亡くなった夫を重ねているだけ、というものだった。エンドロールが流れ、役名の隣の『坂井 達樹』という文字を見つめながら、この主人公を演じていたのは本当に達樹くんだったんだ……とぼんやり思った。ふと隣を見ると、仁美はハンカチを手にして、声も殺さずに泣いている。
「ちょっと、仁美、泣きすぎ。大丈夫?」
「……大丈夫じゃない……安田、切ない……! 百合香ほんと腹立つ! 昌彦浮かばれないよ……立ち直れない……」
『達樹くん』ではなく『安田』、『早川楓』ではなく『百合香』と役名で呼んでしまうあたり、仁美はどっぷりと物語にはまり込んでしまったらしい。『昌彦』とは、百合香の亡くなった夫のことだ。仁美はなおも泣きながら私を咎めた。
「う……あんた、なんでそんなにカラッカラなの?」
「いや、良かったよ。面白かったよ」
「そーじゃないでしょ! 達樹くんにもそんな風に言えるの!?」
達樹くんに……。
そうだ。私……達樹くんに、なんて感想を話せばいいんだろう……。