078 シャングリラ後日談
□駆け引き
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寒さも和らぐ日が増えて来始め、桜の蕾も膨らみ始めた三月。私は無事に大学を卒業し、四月から社会人になる。達樹くんとのお付き合いは三年目に入っているが、お付き合いし始めた時と特に何も変わっておらず、未だに会う度にドキドキするし、たぶんそれは私が社会人になっても変わらないのだろう。就職先は普通の一般企業で私はいわゆるOLになるのだが、達樹くんは特に賛成するでも反対するでもなく、菜々ちゃんなら何だって頑張れるよ、と微笑むだけだった。
「菜々さん、今日最後なんですか!?」
「そーなの。今までありがとね」
今日で、このバイト先に通うことも最後だ。同僚から、今日が私の最終勤務日だと聞いた後輩が、驚きの声を上げた。
「言っといてくださいよ! 何か買って来たのに!」
「いい、いい。そうなるから言わなかったの!」
「だって、美咲さんも今週末で終わりですよね? みんな辞めちゃう……やだー!!」
「しょうがないよ、就職なんだから……理沙も来年でしょ?」
「私は再来年です!! あーやだーやって行けないー!!」
頭を抱える理沙に苦笑いしていると、美咲が慌ててパントリーに飛び込んで来た。
「菜々、理沙、やばい!! イケメンが来た!! 2卓見てきて!!」
「イケメン!?」
理沙が色めき立つ。私行きます! と理沙はさっさとお冷や出しに行ってしまった。
「イケメンねえ。どんな感じ?」
「すっごい背高くて爽やか! 私、あの人、ちょっと前に一回だけ見たことあるの! 菜々、オーダー取りに行きなよ!」
「ええ……」
そんなこと言ったって、私、日本最高峰クラスのイケメンと付き合ってるしなあ……と、つい調子に乗ってしまったが、席に座っているそのイケメンとやらが、まさにその日本最高峰クラスのイケメンだったので私は腰が抜けてしまった。
「た……!」
声を上げそうになったのを必死で堪える。達樹くんはいつものオーバルデザインの眼鏡を掛けているだけで、わかる人にはわかってしまう出で立ちだ。席の傍に屈み、オーダーを取る振りをして、私は小声で抗議の声を上げた。
「達樹くん……! 何やってんの!」
私の刺々しい物言いを気にも留めない様子で、達樹くんは楽しそうに笑った。人差し指を唇に当て、達樹くんも小声で囁いた。
「しー。静かにしないと気付かれるよ」
じゃあ来ないでよ、こんなとこ!
思わず達樹くんを睨み付ける。
「怖いなあ、お客さんにそんな顔して」
「……! ……!!」
声にならない声を上げた。達樹くんは頬杖を付きながら私を見てニヤニヤしている。早くオーダーを取らないと怪しまれる。とりあえず深呼吸した。
「……ご注文をお伺いいたします」
「これにします。このセット」
いやなんでノールックで決めれんの!! 完璧あらかじめ下見に来てるじゃん!!
歯ぎしりしたい気持ちを抑える。
「……ご注文ありがとうございます。失礼いたします」
ふらふらと、力なくパントリーに戻った。途端に美咲と理沙がまとわり付いて来る。
「ねーねー、イケメンだったでしょ、菜々!」
「いやほんとヤバかったです! しかもめっちゃ物腰柔らかで笑顔が素敵で……幸せ……」
「………」
「理沙、あの人知ってる? 私、前一回だけ見たことあるんだけど」
「初めて見ました! あんなイケメン来たら、忘れませんよ! 常連になってくれないかなあ……」
「………」
「菜々、オーダー時間かかってたね。何か言われたの? あー、私が行けばよかったぁ」
「やーん、私も行きたかったです! 今まで来たお客さんの中で、ダントツですよね!!」
「………」
「この前もだけど、今日も緊張して、ちゃんと顔見れなかったあ……じっと見たら目がやられちゃいそうだよ」
「えーっ、もったいない! 私はちゃんと見ましたよ! 誰かに似てませんでした? なんかテレビで見たことあるような気が……」
「!! ……!!」
がっくりと肩を落とす。そこでちょうど料理が出た。
「……私、提供行く」
本当は行きたくないが、美咲や理沙に行かせると気付かれてしまうかもしれない。
「えっ! 菜々さん、ズルいー!」
「まあまあ。菜々今日で最後なんだから」
二人の声を背中で聞きながら、料理を持ってパントリーを出た。
「お待たせいたしました」
作り笑顔を顔に張り付け、達樹くんの前に料理を置いた。達樹くんは私の余所行きの顔と態度がおかしいのか、笑いを堪えるように手で口を押さえている。
後で絶対シメる……!!