078 シャングリラ後日談
□コネクション
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「もしもし……」
『菜々ちゃん、急にごめんね。この後、仕事がキャンセルになったから、どうしてるかと思って』
う……。
明るい達樹くんの声に、何も言うことができない。口ごもっていると、達樹くんは私の様子を敏感に察したようだった。
『……どうしたの? 何かあった?』
「あ……えっと……」
こういう時、うまく立ち回れない自分が憎い。必死で言葉を探したが、どう取り繕ってもすぐにバレてしまうように感じた。
『……なに? 俺に言いにくいこと?』
観念して、私は事情を話した。達樹くんは溜め息をつき、暫く押し黙った。ややあって、低い声が耳に届いた。
『……今どこ? すぐ行く』
その一言に、血の気が引いた。
「ダメだよ! こんなところに、達樹く……」
『菜々』
びく、と肩が震えた。達樹くんの声は冷え切っている。
『そういう問題じゃないから。今どこ?』
私に二の句を継がせない、強い口調だった。店の名前と大体の場所を伝えると、トン、トン、とスマホを触る音が聞こえた。通話状態のまま、住所を調べているらしい。
『近いな。15分で行く。そこから動かないで』
「達樹くん……! 待っ……」
私の返事を待たずに、通話が途切れた。そこで、仁美が慌ただしくトイレに入って来た。
「菜々、達樹くん、なんて?」
「どうしよう……すぐ来るって……」
仁美はさっと青くなった。
「バカ! なに正直に全部話してんの!」
「だって嘘なんてつけないよ!」
仁美の声につられるように、私も声を荒げた。仁美は表情を歪め、溜め息をついた。
「……わかった。あんたの荷物取ってきてあげるから、外に出てて。達樹くんが来たらすぐ気付けるように」
そう言って、仁美は扉を開けて出て行った。途端に、体が震え始めた。達樹くんの声色を思い出すと、足が竦んで動けない。言うことを聞かない足を引きずり、なんとか店を出た。
外は雪が降っていた。冷たい雪が頬に触れる度に、自分を叱咤しているように感じてしまう。寒さと恐怖で震える手でそわそわと服を弄びながら、落ち着かない気持ちで店先に立っていると、達樹くんの車が近付いて来るのが見えた。車を停め、現れた達樹くんは上着も羽織らず、何の変装もしていない。息が詰まった。
「菜々……何してんだよ」
眉根に皺を寄せ、呆れと苛立ちを隠そうともしない達樹くんに、なんてことをしてしまったのだろうと思い知らされる。
「ごめんなさい……」
謝るしかできない。まともに達樹くんの目を見られず俯くと、彼はつかつかと私の方へ寄って来た。反射で後ずさりそうになったが、達樹くんは私の手首をぱっと掴み、私の目線に合わせて屈み、顔を覗き込んで来た。
「……大丈夫? 何もされてない?」
心配してくれている。涙が込み上げそうになったが必死で堪えた。今泣きたいのは達樹くんのはずなのだ。
「大丈夫……ごめんなさい……」
頭を下げると、店のドアが勢い良く開く音がした。振り向くと仁美が息を切らしている。
「菜々……荷物持ってきたよ」
息を整えながら顔を上げた仁美は達樹くんを見て驚いたように立ち止まった。何とも言えない表情をしている。目の前に坂井達樹がいるという事実と、今は舞い上がっている場合ではないという気持ちが闘っているようだった。達樹くんは仁美を見て、少し考えた後、はっとしたように声を上げた。
「あっ! 仁美ちゃん!」
「はいっ!」
達樹くんに名前を呼ばれて、仁美は飛び上がった。仁美はまだ複雑な顔をしていたが、思い出したようにこちらへ寄って来て、達樹くんの前で足を止めた。
「えっと……坂井、さん。ご迷惑おかけしてすみません。菜々は何も知らなかったんです。友達に、事情を聞かされないまま連れて来られただけで……。だから、菜々を怒らないでやってください。お願いします」
そう言って、仁美は深々と頭を下げた。自分も何も聞かされていなかったのに、私の代わりに謝ってくれた仁美に感激したが、達樹くんは溜め息をついて右手を首の後ろに回した。
「……わかった。仁美ちゃんに免じて、何も言わないでおくけど……こういうことは今回限りにしてほしいって、その友達に伝えて。あと、菜々はこのまま連れて行くけど、いい?」
仁美はこくこくと首を縦に振った。事後処理を考えると仁美に申し訳ない気にもなったが、彼女に何の挨拶もできないまま、私は達樹くんの車に乗せられた。