お題小説A

□042 ポーカー
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042 ポーカー

今日も満員電車で人混みに飲まれ、ただいまと挨拶しても返事の無い部屋に帰り、水に浸かった洗い物や干しっ放しの洗濯物を横目で見遣る。食事の用意を始めるのも億劫になり、コンビニで買って来たおにぎりや菓子パンをテーブルに広げ、音の無い部屋に苛立ち何となくテレビを点ける。淡々とニュースを読み上げるアナウンサーは、何故かあまりにも自分を彷彿とさせ、耐え兼ねてテレビを消した。

明日もまた満員電車で人混みに飲まれ、愛想笑いを振り撒き、謙虚を装い、理不尽な叱責にも唇は咄嗟に謝罪の言葉を紡ぐ。本音の置き場所が無く、指は呼吸するようにキーボードを叩き、定時で帰って行く同僚を見送る。部屋には眠りに帰るようなものだと溜め息を吐き、大き過ぎるソファに横になった。

色々な覇気や好奇心を生活に吸い取られた遣る瀬無さに襲われ、気を紛らわしたくケータイを覗いた。



たった一回の不在着信が、何故こんなにも私の心を潤わすのだろう。

完璧に作り上げたはずのポーカーフェイスが緩み、泣きたいような、でも嬉しいような、複雑な気持ちが溢れ、私はゆっくりと着信の主に折り返し電話を掛けた。



『もしもし』

「何の用なのよ、疲れてるってのに」

『それ普通かけて来る方は言わねぇぞ!? いや何となく…疲れてんなら悪かったよ』

「そうよ、残業続きで明日だって土曜日なのに出勤なんだから。だから、ちょっと今から飲み物でも差し入れに来て」

『あ!?』

「何よ。車なら20分あれば着くじゃない」

『いや、俺も明日出勤で、ね、寝不足なんだけ』

「21時半まで待ってあげるから早くしてよね。リプトンのミルクティよろしく」

『いや、舞さん、勘弁して下さい…! 日曜には会う約束してんだからさ!』

「………」

『……舞』

「………」

『……あ〜〜わかったよ! 着替えるから20分は厳しいけど、30分で着くからな!!』

「……ありがとう」

『え?』

「ありがとう、樹。待ってる」

『……いえ。すぐ参りますんで』

「はい」



電話を切った後、画面に一瞬自分の表情が映った。

この高揚した気持ちが全てあの男の所為だとするなら、私は奴の前でだけは素顔でいてもいいのかもしれない。



ソファから立ち上がり、洗い物と洗濯物、どちらから先に片付けるかに思案を巡らせた。





END
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