お題小説A

□031 凪
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「やべ……」

「な、なに? 今の」

「上の人が床叩いたんだよ。静かにしろってことだろ」

「う、うそ。ごめんなさい」

「いや、俺に言うなよ。上の人に言えよ」

「私そんな義理ないもん。雅治が言って来て」

「お前も一緒にな」



目を見合わせて、笑った。



「うわー俺上の人に怒られんの二回目だよ」

「バカだねー、学ばないからだよ」

「先に大声出したのお前だろー」

「その時に雅治が『夜中なんだから静かにしとけ』とか言ってりゃ良かったじゃん!」

「はは。確かにな」

「でしょ?」

そして、沈黙が漂った。私には苦痛な沈黙だったが、雅治は何かを考えているようだった。

「……奈緒」

「……なに?」

「ごめんな。俺のせいだろ」

「え? な何で!?」

「俺が奈緒をほったらかしにしてたから、不安になったんじゃねーの?」

「で、でも、ここまで事が大きくなったのは私のせいだよ」

「でも、俺はお前が悩んでるのに気付かなかった」

「だって、それは」

「その新人の方が、奈緒を大事にしてくれるかもな……」



次に込み上げたのは、涙だった。



「私、雅治に会いたくて仕方なかったからここに来たのに……」

「な、おい、奈緒」

「優しくなんかしてくれなくていい。そんなの、誰にだってできるもん。私のこと好きじゃない人にだって。私が欲しいのは、好きな人が自分を好きでいてくれるっていう事実だけ。雅治の、好きって気持ちが欲しいの」



雅治は笑って、私の頭に手を置いて、荒く撫でた。



「奈緒、俺は、お前がいれば嬉しいし、いなきゃ寂しい。さっきだって、その新人に腹が立ったから平静を保てなかった。俺だって、お前と一緒だよ」



その日私は、雅治の家に泊まった。あの時以来だった。私が寝返りを打つ度に、雅治は私を抱き直した。私が雅治の方を見上げる度に、雅治はキスをしてくれた。



好きだよ、雅治。



次の日も、私は入江くんとバイトだった。みんなにからかわれたりもしたけど、今日は笑って流すことが出来た。仕事を終えて着替えてから、私は入江くんに自分の気持ちを話した。

「……そうですか」

入江くんは、「やっぱり」という風に頷いた。

「あの時から、関口さんが悩んでたのは知ってました。俺のせいだってわかってたけど、俺のことで関口さんが悩んでると思うと、チャンスあるんじゃねぇかとか考えちまって…本当、すいませんでした」

「謝らないで。私にも非があったんだから。入江くんのおかげで、いろいろすっきりしたしね」

「んだよー、俺、結局キューピッドじゃねーかよ」

「あはは。実質そうかも」

「うわー! ヒッデェ〜」

「ウソだよ。ありがとね、基くん」

「っ、え!?」

「はいコレ最初で最後ね。あのキスもね」

「ええー!! いいじゃないっすかぁキスくれぇ」

「ダメー」



少し前までは、私は入江くんの前でも雅治の前でも、無理をして笑っていた。

そしてきっと、入江くんも無理をして、今、こんな風に笑っているんだろう。

でも私さえしっかりしていれば、もう誰かが無理することは無い。

もう、心に波が立つことは無い。



気持ちは凪ぐように穏やかなのに、今日の私の喉と唇はとても元気だった。





END
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