078 シャングリラ後日談
□翻弄
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憂鬱な気分を押し殺しながら、私は青林檎チューハイを少しだけ口に含んだ。腕時計を盗み見ると、溜め息が漏れそうになる。
もうすっかり桜も散ってしまった四月半ば、狭い居酒屋の端の席に、私は座っていた。月曜日から、私は新入社員として一般企業で働き始めた。まだ新米ということもあり、今のところは電話応対や書類管理など簡単な仕事から、ということだったが、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、何もかもが覚えなくてはいけないことのように感じて、終業時間には毎日、すっかり気疲れしていた。
そんな折、歓迎会が開かれるという話を先輩から聞いた。新卒は、私含めて五人。私の他は男の子が二人、女の子が二人だ。金曜日の夜に部署内のメンバーで開かれるということで、気乗りはしないが、今後の人間関係を円滑にするためと言い聞かせ、出席することにした。
……のだが。
「加納さんって、彼氏いるの?」
狭い居酒屋で、四人掛けのテーブルに別れて座ると、自分のテーブルに女が私だけになってしまった。今のところ、私が心を許せる相手は、新卒仲間と、今私に付いて仕事を教えてくれている三つ上の女性の先輩だけなのだが、皆だいぶ遠い席に通されてしまっていた。三十歳前後ほどの男の先輩三人に囲まれ、心の中で舌打ちをした。セクハラだから、それ!
「はい。大学の頃から、付き合ってます」
「マジで!? 残念だなー。どんな人? イケメン?」
イケメンですよ、世界で一番。
「うーん。不細工ではないと思います」
もう、私は彼氏のことを尋ねられた時の答え方をシミュレーションし、何パターンかのカードを持っていた。どれくらい付き合っているのかも、「二年半」などとは答えず、少しだけぼやかして答えるようにしている。
「写真見せてよ!」
「絶対イヤです」
先輩の目も見ず、料理を頬張った。
払ってくれるのかわからないけど、どっちにしても不快だし、食べないと損だわ。
「あんまり答えたくなさそうだね。うまくいってないの?」
「そんなことないですよ」
もういい加減、この話題やめてほしいな。
「東さんは、彼女さんいらっしゃらないんですか?」
「俺? いない、いない」
「加納さん、嘘だよ、嘘。長く付き合ってる彼女いるよ」
「宮田! てめえ!」
愛想笑いを浮かべる。
来なきゃよかったなあ、退屈……。達樹くん、どうしてるかなあ……。
二十三時、漸く解散になった。二次会に行こうかという流れになったが、もう終電なんで帰ります、と、実は終電まで二本あるが堂々と嘘をついた。鞄からイヤホンを取り出し、携帯に差したところで、東さんが追い掛けて来た。
「加納さん。駅まで送るよ」
「大丈夫です。お疲れ様でした」
「いやいや、一人だと危ないよ」
「いえ、一人で大丈夫ですから」
足を止めず振り返りもせず、面倒くさい、というのを隠そうともしない私に、東さんは微かに声のトーンを落とした。
「強情だね。別に何かしようってわけじゃないのに」
「もちろん、そんなつもりだと困ります。下心がないなら、放っておいてくれてもいいじゃないですか」
「……ずいぶん、険のある言い方するね。新人のくせに」
「関係ありますか? 普通の人には、普通に対応します」
「そんなに彼氏が心配なの?」
その一言に、足を止めて東さんに向き直った。
「今、この状況を彼が見たとして、私には言い訳する方法がわかりません。東さんも、もし彼女さんにこの場を見られたら、なんて説明するんですか?」
「俺の彼女は、こんなことでとやかく言わないよ。ホテルに誘ってるわけでもあるまいし……小さい彼氏だね」
歯ぎしりしたい気持ちを抑えた。
なんなの、こいつ。こっちのセリフだわ!
「なんとでもおっしゃってください。また月曜日に。お疲れ様です」
踵を返し、小走りで駅に向かった。
あ〜〜〜も〜〜〜むかつく〜〜〜!!!