お題小説C

□094 夜のベンチ
1ページ/3ページ

094 夜のベンチ

どんなに急いでいても、誰が隣にいても、見かけるとつい目を遣ってしまう。

俺はまた、ゆっくりと昔のことを思い出していた。



「佐伯さん?」

振り向いた彼女は、微かに疎ましそうな表情で俺を見てから、持っていた缶コーヒーに視線を落とした。

「ごめんなさい。お名前……」

「あ、片岡です」

名前を覚えていてくれなかったことには何とも思わなかったが、終始俺の目を見ようとしない彼女の態度には少し辟易した。

「片岡さん、どうしたんですか。こんな所で」

「いや、佐伯さんがいなくなったから探しに。どうしたの?」

「……ちょっと外の空気を吸いたかっただけです」

俺は溜め息を慌てて飲み込んだ。無理矢理連れて来られたにしても、礼儀ってものがある。まあ、彼女は合コンを好みそうな風には見えない。生真面目そうというか、潔癖そうというか。恐らくは人数合わせのために呼ばれたのだろう。しかし、彼女は店でも常時つまらなそうに頬杖を付き、誰が話しかけてもろくに返事もせず、協調性がないというか、一刻も早く帰りたいのが見え見えというか、とりあえず見ていて気分のいいものではなかった。

そしてとうとう、彼女は「ちょっと」とだけ言い残し、店を出て行ってしまった。それで俺が駆り出されたのだが、正直ご勘弁願いたいこと山の如しだった。やっと彼女を見つけて声を掛けてもこの態度である。俺は間に耐え切れずに煙草を銜えた。

「ごめんなさい。遠慮してもらえますか」

驚いた。彼女の方を見遣ると、俺の方をまっすぐ見つめていた。綺麗な顔立ちだった。返す言葉がないまま呆然としていると、彼女が続けた。

「煙草が苦手で。実はそれで出て来たんです」

俺は銜えた煙草を口から離して見つめた。ああそういうことか。そういえば、今日のメンバーで彼女のほかに非喫煙者は一人もいない。女の子もみんな吸っていた。彼女が咽たり煙を払う様子はなかったが、そこに考えが及ばなかった自分に少し嫌気が差した。俺は急いで煙草をしまった。

「ごめんね。言ってくれて良かったのに」

「……言えませんよ、みんな吸ってるのに。それに、この年で煙草が苦手だから側で吸わないで欲しいだなんて、非常識だとも思うし」

かと言ってあんな態度を取られたら元も子もないと思ったが、俺は彼女に少しだけ同情した。少数派というのは、いつだって泣き寝入りさせられる。

「……座っていい?」

「……どうぞ」

俺の目を見もせず、彼女は小さく返事をした。俺は彼女の顔を覗き込むようにしながら彼女の隣に座った。彼女は一瞬怪訝な顔をして、またゆっくりと視線を逸らした。

「佐伯さん、人数合わせで呼ばれたの?」

「……いえ、ずっと私に彼氏ができないからって、あの子たちが考えてくれたんです」

「……合コンは初めて?」

「はい。緊張もあってうまく溶け込めませんでしたけど」

俺はますます彼女に同情した。望んだわけでもない初めての合コン、自分以外全員が喫煙者、あげく店を出なきゃいけなくなるほどの緊張感と煙たさに襲われるとは。

「断る気はなかったの?」

「……断りたかったんですけど、半ば無理矢理というか。あの子たちには、いつも世話になってるし」

「ふうん……。どう? 初めての合コンは」

「煙草を吸わない人がいたらいいなあと思っていたので……」

「……そっか……」

「………」

ダメだ。どうもダメだ。

会話が弾まない。楽しくない。

興味を持ってみたはいいけど、こんなタチじゃ彼氏もできないだろう。確か年は二十四だったな。二つ下か……。

「……ごめんなさい。気を遣って探しに来てもらったのに」

少しだけ面食らった。彼女は、俺が進んで探しに来たのではないことがわかっている。そして、今俺が戸惑っているということも。

「片岡さんは、よく合コンに参加するんですか?」

彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。彼女から質問されたことには少し驚いたが、考えている振りをして驚きを隠した。

「んー…そんなに。実は、俺も前の彼女と別れてからだいぶ経つもんだから、友達に連れて来られたんだ」

「どれくらい経つんですか?」

「2年くらいかな。でも別に忘れられないわけじゃなくて、単に出会いがないだけなんだけど」

彼女はまた黙った。しかしただ黙っているのではない。俺をじっと見つめていた。

「佐伯さんは、彼氏とかいたことないの?」

「……ありますけど、長く続きませんでした。最長で半年とか、それくらいです」

「まあ…俺もせいぜい1年とか1年半とかだし。そんなもんだよ」

この辺で、少し集中力が切れてきた。ああ、煙草吸いてぇ。

仕方なく、俺は側の自販機でコーヒーを買うことにした。いつもはブラックだが、微糖を選んだ。勢いよく飲んで後悔した。甘ぇ……。

「片岡さん、煙草吸いたいんじゃないですか?」

「え!? なんで?」

「さっきから、ポケットに伸びようとする手を引っ込めてるから。それに口が寂しいから、飲み物を買ったんでしょ?」

気付かなかったが、そうしていたらしい。返す言葉が見つからなかった。

「いいですよ。もうだいぶ落ち着いたし、外ですから風もある。どうぞ」

俺よりも年上に見える。店の中ではあんなに傍若無人に見えたのに、ここに来るとやたら俺に気を遣っているようだ。

「……じゃあ、一本だけ」

立ち上がって彼女の風下に移動するまでの間に、煙草を銜えて火を点けた。深く吸い込んで、彼女から顔を逸らして煙を吐いた。俺はその一本を大切に吸った。思えばこんなに人に気を遣って煙草を吸ったのは初めてだ。あんなに吸いたかった一本だが、吸い終わってみれば、吸わなければ良かったと思った。そして、靴で火を消すまでの一連の動作を、彼女は食い入るように見つめていた。そして、少しだけ眉を顰めて、彼女は言った。

「ポイ捨てはダメですよ」

一瞬息が止まった。

いやポイ捨てじゃない! ちゃんと火は消した!

……違うか。

「ごめん」

吸殻を拾って、少し中身が残っているコーヒーの缶の中に捨てた。

「……今まで付き合った男は、煙草吸わない奴だったの?」

「いえ、吸う人でした。マナーのある人ならいいんですが」

「俺みたいだった?」

「それだけならマシです。ケンカになった時、前髪を焼かれたことがあって」

「いっ……」

「あれはさすがに怖かったですね」

彼女は淡々と話していたが、それは結構な体験だ。根性焼きじゃないだけマシか?

「……そろそろ戻りましょうか。みんな心配してるでしょうし」

立ち上がって彼女は言った。そして俺を見て、少しだけ微笑んでくれた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ