お題小説A
□041 逃げ水
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041 逃げ水
あの人は、一夏限りの逃げ水。
近付きたいと駆け寄れば遠退く。
猛暑にやられた私の脳が産んだ幻覚。
だから、有り得ないのよ。
今、私の目の前に広がる光景は。
私の家は駅に近い。その為、朝や夕方はこの辺りは人に塗れる。窓から眺めれば、先を急ぐ人や、無理矢理電車に乗り込もうとする人を注意する駅員さん、子供に席を譲る優しいお母さん、色々な人を見ることが出来る。
それでも私は見逃さない。あの人は、毎週違う女を連れている。
真実というものは、どうしてこう、突き付けられるには余りにも残酷な物ばかりなのだろう。あの人にとって私は、自分に言い寄って来る数多の女の中の一人に過ぎなかったのね。
不思議と、心は穏やかだった。
風は冷たくなり始めていた。
空の色も、変わるのが早い。
今、私の前に広がる光景も、私が産んだ逃げ水だったらいいのに。
そう思うと、穏やかだった心に小さく波が立った。
この肌寒さが憎らしくなった。
空はもう真っ暗だった。
秋になる。私の脳も、正常に戻る。冷たい風はまるで、私に目を覚ませと言っているようだった。
END