078 シャングリラ後日談

□君に歌う歌
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「菜々ちゃん、疲れたよね」

「大丈夫だよ! すっごく楽しかった!」

本当は少し疲れていたが、ごまかすように笑った。達樹くんは確かめるように念押しして来る。

「本当に?」

目が据わっている。なんとなく見抜かれているような気になった。

「えっと……ほんとは、ちょっとだけ疲れたかな」

そう言うと、達樹くんは少し肩を落とした。

あれ? 見抜かれていたんじゃないのかな?

「……すげー恥ずかしいけど、佐々木さんの言う通り、やっと二人きりになれたから。もうちょっとだけ一緒にいたかったんだけど……」

あ……そういうことか。

「大丈夫だよ。達樹くんと二人なら、気遣わなくてもいいもん」

「ええ!? なんだそれ!! ……いや、いいのか。いいんだよな?」

ブツブツ言い、達樹くんは一人で納得したように、財布から一万円札を取り出して私に渡した。

「一応、別々に家に向かおう。俺先に行くから。必要な物があったらこれで買って」

「え? え? どういうこと?」

「泊まっていってくれるでしょ?」

当然、という口振りに、そんなつもりじゃ……という言葉を呑み込んだ。そこでちょうどタクシーが到着し、何も言えないまま、「じゃあね」と達樹くんはタクシーに乗り込んでしまった。今日は全くそんなつもりではなかったので、本当に何も持っていない。それを見越して、お金を渡してくれたのだろう。もう……と心の中で溜め息をつきながらも、お金を財布にしまい、タクシーを停めようと私は右手を挙げた。



達樹くんのマンションに着く頃、時刻は三時半だった。

達樹くん、明日お仕事昼からって言ってたけど、大丈夫なのかなあ? 私、夕方からのバイトさえもう行くのしんどいのに……。

そう考えながらエントランスでインターホンを鳴らすと、達樹くんから『ちょっと待ってね』とラインがあり、二分ほどしてから『もっかい鳴らして』とラインがあった。もう一度インターホンを鳴らし、漸く扉が開いた。改めて考えると、達樹くんのマンションを訪れるのは、あの週刊誌騒動以来、久し振りだ。いつも見るフラワーアレンジは、緑の紫陽花、白いバラにクレマチスと、初夏を思わせる爽やかな彩りだ。

部屋の前に着き、『着きました』とラインを送ると、今度はすぐに扉が開いた。

「菜々ちゃん、お待たせ。ごめんね、シャワー浴びてた」

まだ少し濡れている達樹くんの髪を見ると、不覚にもときめいてしまう。

「さっきすっげえイヤな汗かいたから。急いで浴びたけど、菜々ちゃん早かったね」

「うん。タクシーすぐつかまったから」

リビングに通されると、すぐに後ろから抱き竦められ、石鹸の匂いに、どきまぎしてしまう。

「はー……やっと菜々ちゃんに触れられる……」

「もう……達樹くん、くすぐったい!」

肩口に顔を埋められ、くすぐったさに身を捩った。それでも、達樹くんは放してくれない。

「楽しかったのは楽しかったけど……一緒にいるのに、こういうことができないってのが……。付き合う前はそれが当たり前だったのになあ」

感慨深そうに達樹くんは呟いた。確かに、『シャングリラ』の稽古中や開演中はお付き合いをしていなかったのに、今はお付き合いをしている状態で『シャングリラ』のメンバーと一緒にいたことに、妙な違和感を覚えたことを思い出した。何も言い返せずにいると、達樹くんは私を放し、正面を向かせた。

「菜々ちゃん……あの……」

「ん?」

目を泳がせ、あー、とかんー、とか、言いにくそうにする達樹くんに、一体何を言おうとしているのかと体が強張った。

「な、なに……?」

恐る恐る尋ねると、覚悟を決めたように息をつき、私の目を見て、達樹くんは小さく言った。

「……愛してる」

……えええ!?

「ああああ!! 恥ず!!」

「いや、え!? 急に何!?」

「いや……さっき、歌えなかったから……」

……あ。『歌うたいのバラッド』?

「別に初めて言うわけじゃないのに、すげえ照れる……」

「何かと思ったよ! ムリに言わなくてもいいのに……」

「……こういうことは、二人きりの時に言うもんだと思って」

ぎゅっと抱き締められ、達樹くんは今度ははっきりと言った。

「菜々、愛してる。あれを入れた時は……そんなつもりじゃなかったけど、俺の気持ちだって、思ってくれていいよ」

胸がいっぱいになった。

「ありがとう……私も、愛してる」

達樹くんの背に腕を回しながら呟くと、彼はそっと腕を緩め、優しくキスしてくれた。

「今度は、二人でカラオケ行こう。菜々ちゃんの歌楽しみにしてる」

「えー……私、達樹くんのB'zとポルノとラルクが聴きたい」

「いやずるいって! 歌うから、菜々ちゃんも歌ってよ!」

「大北さんに、特に何の曲がオススメですかってラインしとこっと」

「なんだよ! 絶対歌わすからな! 歌うまで俺歌わねーからな!」

笑いながら、達樹くんにラブソングを歌うなら何だろう? と考えを巡らせた。普段そんなことを考えながら曲を聴いたりしないし、そもそもラブソング自体、聴くのはよくても歌うのがあまり得意じゃないのもあって、まとまらない。

誰かの考えた言葉よりも……私は私の言葉で、達樹くんに気持ちを伝えたいんだけどな。

「じゃあ、歌ってほしい曲をあらかじめ教えといてくれたら、練習しておくよ」

「いやいや、そーいうことじゃねーじゃん! 菜々ちゃんが何を選ぶのかが大事なんだって!」

「んー……わかった、わかった。考えとく」

「軽いって! なんだよ、もう……」

拗ねたようにそっぽを向く達樹くんが可愛くて、背伸びをして頬にキスをした。

「達樹くん。『歌うたいのバラッド』、すっごくうれしかった。ありがとう。私もちゃんと考えるね」

少し恨めしそうに私を見る達樹くんに、つい笑ってしまう。何を歌ったら、達樹くんは喜んでくれるだろう? とりあえず、週明けにでも仁美にカラオケに付き合ってもらって、勉強しよう……とこっそり決意するのだった。



END
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