サエアシ

□まるで、恋の様な春の夜
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結局は、一番手近だったからだ。車持ちだったからだ。
渋滞を我慢して、芦原の家へまっすぐ送り届ければ良かった。或いは雨に濡れた芦原を風呂になど入らせず、タオル1枚だけやっておけば、
「…」
くつろぎお泊まりモードにさせず済んだかもしれない。
「あ。今、すごい邪魔って目で俺見たね、冴木くん」
「見てません」
冴木は嘘を即答した。
「とにかく怒んないでよ、しょうがなかったんだから」
「別に怒ってなんか、」
「また、イカと長ネギのぬた作ったげるからさ!」
芦原がぽんぽんと冴木の背中を叩くと同時に、世界が一瞬白く光る。
「っう、きた…」
低い唸りに続き、間を置いて再び春雷が空を切り裂いた。音が窓ガラスを震わせる。
「すごいねえ。まさに春の嵐…」
「本当ですか」
「え?」
「イカと長ネギ」
「いいよー、いつでも」
雨音がうるさい。芦原は、手に持った牛乳パックを思い出した様に振って窓際を離れた。
「あ、でも。と言いたい所だけどやっぱり」
最後の一滴を舌に落とす。
「彼女に作ってもらいなさい」
「いませんよ、今どき」
イカをさばける若い女などに当たった試しはない。
「何でだろうねえ。冴木くんモテるのにイマイチこう」
「俺の恋愛相談はいいです」
冴木は乱暴にカーテンを閉め、ビールを取りに行く。芦原とすれ違う時の石鹸の匂いに、胸が騒いだ。
「ねえ、本当に何かあるんだったら俺、何とかして帰るよ?」
パジャマ姿で、天パの髪も濡れたままで、そういう事を言うか、この人は。
「…単にですね」
カウンターに寄りかかってビールをあおった冴木は一息ついて、暴露した。
「さっきの電話は、弟弟子から芦原さんとの仲をからかわれただけです」
「和谷くん?」
「風呂入ってるっつったらアイツ、」
その先は口に出せない。
「…そりゃまた物凄い、ジョークだねえ」
「…」
そうだ、ジョークに過ぎない。わかっているが。
「冴木くんおつまみ要る?」
「…いいです」
あっさりスルーした芦原の態度が無性に気に障るのは何故だ。
「じゃあ俺も飲もうかなあ」
台所でアルミ缶を開ける音が響く。
「芦原さん」
「なに?」
「今日のこの貸しを、いつどう返してもらおうかと考えてるんですが」
「えー?」
イカと長ネギのぬたぐらいでは足りない。
春の雷の夜には、気持ちがはやるものなので。


⇒End。。。
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