カガツツ

□Swimming Pool
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 何のことはない、昼休みの会話だった。
 ぴーちくぱーちく、としか聞こえない女子のしゃべる中身にある人名が入って、加賀は思わず机に突っ伏していた頭を上げた。
「……筒井くんて」
「まさかあ、あの筒井がー?」
「いやいや、そのまさかじゃないの、意外と……」
「プールで見てみてって、絶対アレだって」
 ……イライラする。何の話だ! と加賀が立ち上がる前に、答えが降ってきた。
「キスマーク!」
 やだあ、と口に手をあてて笑う女子生徒が、加賀には既にその辺のオバチャンと同じに見える。
 ああくだんねえ。それつけたのオレ様だぜ。言ったらどんな反応すっかな。
 とは思ったものの。
「筒井お前、プール入んな」
 メガネ顔に向かって、偉そうに腕を組んだ加賀は言い渡した。
「何でだよ」
 クラスメートと更衣室に入ってきた筒井は眉根を上げる。2クラス合同の体育では、プールを使うのもこの将棋部部長と一緒だ。
「入んな、とにかく」
「何それ、わけわかんないよ」
「休め、ゲリったとか言って」
「やだよ! 加賀の言うことなんか聞かないっ、今日暑いし」
 言いながら半そでの白いシャツのボタンを開ける筒井の手を、加賀がはたき落とす。
「っな、」
「やめろっつってんだろが!」
「だから何で!」
 言えない。女子の好奇心と視線の前にみすみす晒したくないなどと。
「黙って言うこと聞けっ」
「聞かないっ!」
 筒井と同類のおとなしい友人達は、校内一、いや区一の不良と渡り合う筒井を尊敬の目で(遠巻きに)見ていた。
「あ、あの筒井くん……早くしないと」
 恐る恐る割って入るエンピツの様な少年を、
「邪魔すんなテメエ!」
「ひっ!」
いつもは(少しは)凄む相手を選ぶ加賀が威嚇した。友人をかばって、筒井が噛みつく。
「加賀のバカっ!」
 これもいつもは易々と避けられる平手は何と、
「あ」
スパーンとヒットしてしまった。にぎやかだった更衣室が一瞬で凍る。
 ヤバイ、筒井殺される、それ所か目撃した俺らも……
 と、戦慄が走る中で、筒井だけは筒井だった。
「……あ、謝らないっ、加賀が悪いんだからね!」
「……」
 手形のついた頬を晒して、加賀は同級生を見渡す。
「……見せもんじゃねえぞテメエら」
 地を這う様な低い一言で、水着を着ている者も脚に引っかかっている者も脱ぎかけの者も、皆が我先に更衣室を飛び出していった。
 後に残ったのは、二人。
「っ、僕も……」
「だから行くなっつってんだろが!」
 シャツのボタンを外す手を掴む。
「理由言わないなら聞かない!」
「……教えて欲しいのかよ」
「当たり前だろっ」
「ふーん」
 理由を言って、恥ずかしがる顔を眺めるのもオツなものかも知れない。加賀は、残ったシャツのボタンを全部外してやって、
「な、なに……?」
洗面所の鏡の前に筒井の背中を押した。
「見てみろ」
「え?」
「首の下、ほれ」
「……」
 鏡の中の筒井は目を見開いて、まじまじと赤い痕を見る。
「こんなもん付けて裸で外に出る気かよ?」
 ダサメガネの弦を指先で上げて、筒井が一言言った。
「これ……虫刺され?」
「……」
 後ろに倒れそうになった加賀だったが、何とか持ち堪える。
「あのな……」
「虫刺されがあったらプールに入れない訳でもあるの? ないだろっ」
「そりゃ虫刺されじゃねえっ!」
 ニブいわ奥手だわとは思っていたが、この純真無垢さは天然記念物だ。国をあげて保護すべきだ。
 まあそれを踏み荒らすのが俺様なんだが、と加賀は丸い頬を引っ張った。
「じゃは、らに……あ!」
 ざあっと血の気が引く筒井は、
「もしかして何かの伝染病……」
勝手に新たな説をぶち上げる。
 訂正、天然記念物どころじゃない。人間の邪念の及ばない天使様だった。
「……。あーじゃあそういう事にしとけ、もう」
 面倒くさくなった加賀は、パイプ椅子を開いて座る。もとより体育など参加する気もない。
「そ、そういう事にって……加賀は知ってるんだろ、これ何なのっ?」
「教えてやんねえ」
「っ教えてよ!」
 本当に、楽しい。こいつと付き合うのは。
 加賀は余裕を持って口の端で笑った。
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