サエアシ

□はぐれたらそこで解散。
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 もう、付き合いで合コンにも行かない。行ってない。
 ちょっと可愛いなと思った女流棋士に笑いかけたりも、しない。
 とりあえず軽い友人は減ったな、と冴木は煙草を探そうとして手を下ろした。決めたことがもう一つあった。
 煙草ももう吸わない。禁煙。
 色々なことをやめたり諦めた理由は、ただ一つに収まる。夏の終わりに鄙びた温泉宿で男の同僚を抱いた。つまり、彼を海に置いて行きたくなかったから無理矢理、車に乗せた。雨に濡れて寒かったから温泉に行った。そういうことになった。
 以上。
 勢いがつけば踏み越えるのは意外と簡単だった。が、その後が大変であることを今、冴木は思い知らされている。
「あれ、待ってたの」
 背中にのんびりした声が届く。棋院の入り口に立っていた冴木が振り向くと、待ち人とその後輩がいた。
「ああ……お疲れです。塔矢くん、も」
 冴木があまり話したことのないサラブレッドは形のみ会釈する。
「お疲れさまです。芦原さんは……?」
「ん、この人と帰るよ」
 芦原は人指し指で冴木を指した。塔矢は頷き、最後に思い出したと口を開ける。
「あっ、そうだ芦原さん、緒方さんから僕に苦情がきたんですよ」
「えー、何のー?」
「最近飲みに誘っても付き合ってくれないって。『前は俺が嫌になるくらい一緒に飲んだのに』って」
「緒方さんってば……寂しいからってアキラにそーゆーこと言う?」
 芦原はひらひらと手を振って笑った。
「だから僕に早く二十歳になってくれと。でも僕は嫌ですよ、芦原さんの身代りになるの」
「はっきり言うなあもう」
 兄弟弟子はひとしきり笑い合って、別れた。
 電柱の様につっ立っている間に、冴木の方は色々と思う所があった。
 芦原は親しい弟弟子にも特に冴木の事を話していないらしい。塔矢アキラの物腰は柔らかく丁寧だったが、『お噂はかねがね』等という挨拶もなかった。何か少しでも(当たり障りのない)エピソードを知っているなら、その言葉が出る筈だ。
 彼らの話の中身に関しても、穏やかではいられない。しかし。
 ふーん、やっぱり緒方先生とソートー仲良いんですね。今だって別に飲みに行きたければ行けばいいのに。
 ……ナドと、嫉妬の様なことはとてもじゃないが言えない。カッコ悪い。自分はあんな真似をしておいて、相手の先輩関係にまで口を出すなんてそんな。
「ちょっと」
 先を行く天パ頭が振り返り、冴木は長考から戻る。
「どうする、ご飯」
「ああ……俺は何でも」
 冷たいからっ風が髪を乱した。まだ春は遠い。
「お腹空いたなあ、長かったから今日は」
 芦原が鞄を振って伸びをするのを避けて、冴木は訊いた。
「でも芦原さんは勝ったんでしょう」
「よく分かるね」
「それは、……」
 恋人だから、とは口に出せない空気が流れる。人通りが多い道に出たのが理由ではない。
 芦原が、そんな言葉を期待していなかった。
「自分も勝ったから、分かるんだろ」
 いたずらっぽく笑う顔は、以前と同じだ。
「ええ、まあ……」
「ずいぶん早く終わったみたいだったし」
「楽な碁でしたから」
 何の気なしに言った冴木を、芦原はまた笑う。
 その顔を明るい街灯の方へ背けて。
「楽な碁なんてないだろ」
 そんなものは絶対ないと断言できる。
 楽な恋がないのと同じだから。


 
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