サエアシ

□まるで、恋の様な春の夜
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「…っ、聞けよ和谷っ、」
『いやーすんません、気がつかなくって!』
「違うっ、違うって言ってるだろお前、いい加減に」
『お邪魔しました! じゃあまたの機会って事で!』
「和谷!」
『おやすみなっさーいっ』
機種変したばかりのブラウンのケータイは持ち主の冴木を裏切り、通話をブチッと切った。
「〜っ!」
誤解も甚だしい。いや誤解でさえない。単なる嫌がらせだ。
最近、弟弟子はつけあがっている。冴木は携帯を黒革のソファへ力任せに投げた。
「どーしたのー?」
「うわっ!」
5p程飛び上がった冴木を、頭からタオルを垂らした客人が笑う。
「ナニそんなびっくりしてんのさ」
「っ、芦原さんもう、上がったんですか…」
ろくな所を目撃されない。こうして弱味を握られていっている気がするのは被害妄想だろうか。
「俺、早風呂であっついのが好きなんだよねえ、江戸っ子だからさあ」
聞いてもいない事を喋って、冴木の買い置きのパジャマ(と下着)を着た芦原は冷蔵庫を開けに行った。
「何かあったの? ケータイ投げちゃって」
「…いや別に」
台所から顔を見せず問われるのに言葉を濁した冴木は、投げた携帯とソファに傷がないかそそくさと確かめる。
「女のコ?」
「違います」
芦原の声のこもり具合からして、牛乳をパックに口付けて飲んでいるに違いない。残りは確か、あまりなかったからいいものの…。
「まさか冴木くん、まーた二股かけられてたとか相手義務教育中だったとかじゃ」
聞き捨てならない言葉はしかし、耳をつんざくドーンという音で途切れた。
「っ、うわーっ、すごい雷!」
「かなり近くに落ちた様な…」
「ていうかこのマンションに落ちたみたいなぐらいの音だったよね?!」
芦原はどこか嬉しそうにサッと居間の遮光カーテンを開けた。大粒の雨が、ベランダを乗り越えて窓に吹き付けている。
「どこに落ちたんだろ」
「…まだ相当降ってますね…」
冴木の声音を聞いて、
「だから丸の内線、水浸しで止まっちゃってたんだってば、JRも」
芦原は言い訳を始める。
「タクシー拾えば良かったじゃないですか」
「捕まんないよ、こんな時に」
「…何で俺が、」
つい1時間前に携帯越しにした会話を繰り返しているのに気付いて、冴木はため息をついた。
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