アキヒカ

□そらから
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寒の戻りが居座って、まだ春遠いと感じさせる木曜日の事。
塔矢アキラはイライラしていた。『彼』が来ていないのだ。
「君、」
昼休憩に、アキラは見知った頭を呼び止めた。
「…何だよ」
露骨に嫌な顔で振り返られたが全く意に介さず、
「今日進藤は何故不戦敗なんだ」
『休み』とは敢えて言わない。
「何で俺に訊くんだよ」
反感を隠さず和谷がバスケットシューズの踵を踏む。
「君は…進藤と仲が良いだろう」
名前もやっと最近覚えたこの男と、進藤ヒカルとの仲を口にすればどうしても苦くなった。邪推だと分かっていても。
「仲が良いっつか…まあそうだけど」
直球で言葉にされると違和感があるのは和谷だけではあるまい。
「最近はお前との方がつるんでるんじゃね?」
「そんな事はない」
力を入れて否定するべき所でもないし事実はその通りかも知れないが、
「何か知らないか」
本題から逸れているのを修正する。
「さあ…?一昨日会った時は元気だったぜ?」
やっぱり、とアキラは心中イライラがピークに近くなった。
自分の知らないヒカルを、この棋士…和谷が独り占めにしているのではないかと。
「監督とかに訊いてみればいいじゃん」
「…」
言われてみればそうなのだが、どうもヒカルのあの長期欠席がトラウマになっているらしく、冷静な判断を誤ったとアキラは唇を噛んだ。
「あ、伊角さん」
話を中途にし、和谷は年上の後輩棋士を迎える。
「随分引っかかってたね」
「まあな」
どうしたんだ、と気遣う目線を伊角から貰って、
「あの、」
と切り出すアキラを遮り、
「進藤が休みでさ。腹でも壊したんじゃねえのかな」
和谷が心配しつつも遠慮のない言い様をする。
「っ、君は!」
幾らヒカルの友人と言えど、この楽観ぶりは許せない、とアキラが和谷の腕を掴んだ。
「何だよ!」
一瞬険悪な空気が流れるが、
「まあまあ、落ち着けよ二人とも」
伊角が年の功と人徳で血の気を収め、掴み合いにまでは至らない。
「多分風邪じゃないかな、進藤」
「風邪…」
あっけない答えを、アキラは実感できなかった。
「あっ、思い出した」
和谷が指を鳴らして言い出す。
「そういや、伊角さんから薬貰って飲んでた」
「…さっきは、元気だったと言ったろう」
不信感丸出しのアキラに、
「だからー、全然風邪ひきっぽくなかったんだよ!検討も鋭かったし」
和谷が両手をパーカーに突っ込み言い放った。

■ □ ■ □

携帯電話というものは便利だがこんな時に辛い。相手が出る事が前提だからか。
呼び出し音が切れ、
「進藤?」
と言う前に、無機質な留守電の返答に代わる。
それを何度か繰り返し、
「…電話に出られない程悪いという事か」
アキラは棋院の前で立ち尽くした。
和谷が「進藤のケータイかけたけど、出ねえ」と午後の手合い前に教えたのも気に食わなかったが、「ボクが後で具合を訊いておく」と言うと「塔矢からの電話なんてプレッシャーっぽいよな」と返されたのも憤慨ものだった。
その場は聞かない振りをしたが。
それはそれとして、ヒカルの状態が心配だ。
「お母様はいらっしゃるだろうが…」
肝心の進藤家の電話番号を真新しい携帯には入れておらず、鞄の手帳を探ろうとして、
「…」
取り敢えず、行ってみる事をアキラは決めた。病欠の棋士を『同僚』が見舞うのに、理由がいるものか。



「もうねぇ、あんまりふらふらしてて、本人は行くと言って聞かなかったんですけど、…ヒカル、お友達よ」
『友達』というヒカルの母の言に、少なからず訂正を求めたいアキラだったが(ヒカルもそうだろう)、その場は抑え、部屋に足を踏み入れた。
日差しが陰り始めた窓の下のベッドで、彼は目を閉じていた。
「…進藤」
「あら、眠ってるのかしら」
母親は呟き、枕元を確かめて、
「ごめんなさいね、氷嚢を換えるので」
と出て行く。アキラは会釈し、窓際に歩み寄った。
いつもは口の減らない元気な存在が、小さく呼吸して横たわっているのは妙なものだ。
思わず、アキラは熱を孕むヒカルの頬を撫でる。ちゃんと生きていると、安心する為に。
「…進藤」
もう一度声をかける。ここに君を想う人間が居ると、安心させる為に。
「…ヒカル」
名前を呼ぶのは、初めてだった。
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