10/25の日記

10:20
一年前は娼婦
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来月のあたまくらいに引っ越すことになり、その準備やらであっちゅー間に毎日がすぎていっていますが、雨がしとしと降ってる今、ふと一年前をふり返ってみた。

目まぐるしい一年だった。

2011年の3月、大震災が起こってから、平常心であった日は一日もなかったように思う。
平常を演じてみたり、楽しいことがあって思い切りはしゃいだあとに、いつも心が傷んだ。
だれかに心のすみっこで「ごめんなさい」って謝ってた。

東京にいる友達のことを苛立つほど心配したり、悲惨な映像をみると、どうしても被災者の気持ちを深く想像してしまい、津波の夢を何度もみた。
お酒の量も少しずつ増えてった。

そんなどうしようもないへなちょこな自分は2011年の年末、追い討ちをかけるように(といってもいつだって自分が追い討ちをかけるんだけど)3年間同棲した彼氏と別れ、大好きだった人と再会するも結ばれることもなく、新しい恋も破れ、夏の恋もひと夏で終わり…(笑)

て、まるで恋愛しかしてないような人生ですが(笑)

それと並行して、ひとり18切符で石巻に行ったり、大きな合同作品展に参加させてもらったり、数え切れないほとたくさんの人に出会ったり、毎日詩や絵をかきまくったり、酒をのみまくって、イベント行きまくって、アバンチュールしまくって、気がつけば何処かのマンションの踊り場で寝ていたり…

とにかく、なんか毎日が目まぐるしかった(笑)

そして、友達を亡くし、知り合ったばかりの友達も亡くなり、

自分がいま何処にいて、なにをどう感じ取ればいいのかわからない、だけど、とにかく動いてなきゃ自分自身が停止してしまうようなわけのわからない状態でした。


ね〜、それがまさか一年後、こんなに穏やかで幸せな毎日を送れているとは!

人生ってほんまわかりませんね。


そんなわたしが去年の今頃、居酒屋で知り合った紳士なおじさまにワインバーに誘われ呑みに行った。

聞けば、ある組織の「長」の名がつくお偉いさんで、高いワインをご馳走してくれ、ご自慢のイヤホン?(数万円するらしい)でジャズを聴かせてくれ、バブリーなマンションの最上階でセレブ仲間とワインパーテーをしている画像をアイパッドで見せてもらい…


そして、結局は
「リーガの部屋でこれから飲もう」
とカバンから高そうなワインを出してきた。


わたしはそこで何故か、いきなりぱっと目が覚めた。
いつもどこか興奮気味で高揚したり憂鬱になってた精神が、いきなりフラットになった。

いまのわたし、娼婦だわ。
なぜか冷静にそう思った。


そう思った瞬間、わたしは娼婦を卒業しました。

わたしはそれまで、なにかに自分を売っていたような気がしたわけです。

金銭のやり取りというわけではなく、自分を乱暴に何かに、誰かに売っていたんだと。

普通はそこで落ち込んだり自暴自棄になるかもしれないけど、自暴自棄はとっくになっていたんだから、やーめたっ!

というさっぱりした気持ちになった。

そうなるともう、目の前の「長」のつくおじさまは風景にしか見えず、わたしはおじさまを置き去りにして帰ってしまった。

あの時、リーガについて行っていたらどうなっていたんだろうと思う。
完全な娼婦になったんじゃないかと思う。

娼婦という仕事を軽蔑しているわけではなく、なにかまったく別の人格になってしまってたような気がした。

そんなこんなで、平常心を取り戻し、普通の生活に戻り、その流れがいまの彼との出会いを運んできてくれたのだと思う。

一年前、危なっかしかったわたし。だけど、一生懸命生きてました!毎日をクロールするみたいに、下手くそに脚をバタバタしながら、必死の形相で息継ぎして(笑)

ようやく誰かのために動ける自分になれはじめた気がしています。

震災のこと、友達の死のこと、表現すること、人を愛すること、一番大事なものを一番大事にすること。

まずは自分が自分でしっかり立っていなきゃ。

てんやわんやの一年前、そんな自分も可愛く愛しく思えます(笑)

一年前のわたしがとことんへなちょこになってくれたから、今のどっしりしたわたしがいる。

もちろんまだまだへなちょこですが、死なずに、無理矢理にでも楽しむことに貪欲だった自分のためにも、心配かけた友達のためにも、好いてくれている人のためにも、たくましく正直に生きていきます★

わーー久々に長い文章(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^0^)/

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