09/11の日記

15:42
恋愛、友達、執着心、そして気づき
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自分のこれまでの恋愛とそれに近い友達関係について書いてみようと思います。

わたしは小学生の頃、すごくすごく仲良しな女の子がいた。
同じクラスで、学校から帰っても二人で遊んだ。
時々ほかの友達も仲間に入って遊んだけど、二人きりでも充分楽しかった。

毎日会ってるのに毎日楽しくて、ウキウキして、二人で暗くなるまで遊んでいた。

自分で言うのも変だけど、わたしとその子はクラスの人気者だった。
班を決めるとき、取り合いになったりするくらいだった。

多分わたしたちは二人で最強に楽しくて、だからといって他を排除することはせず、むしろその楽しさがそばにいる人にも自然と伝わるような感じだったからだ。

そんなある日、わたしたちは先生に家庭科室に呼ばれた。
内容は
「あまり二人で仲良くしないように、他の子とも遊んであげてほしい」だった。

今思い返しても変な忠告。
わたしたちはなんでこんなに仲良しなのに、そんなことを言われなきゃいけないのか、悲しくて悲しくて泣いた。


もうひとつエピソード。
小学生高学年のとき、わたしにベッタリついてくる女の子がいた。
その子は他の子がわたしに近づいてくると怒り、あからさまにわたしを引っ張っていた。
「今日も一緒に帰ろうね。明日もあさってもずっと一緒に帰ろう」
そう言われて、わたしは恐ろしくなって、断った。
するとその子は大泣きをはじめて、
「わたしがどれだけあんたを想ってるかわかるか!!」とわめきはじめた。
そして、それを止めに入った女の子もわたしにこうささやいた。
「わたしだってたかさんと毎日帰りたいのに!!」
わたしは頭がクラクラして絶望的な束縛感に襲われた。


時は流れて…
昔から仲のいい友達と、お互いに彼氏がいないからよく遊んでいた。
しかし、途中でわたしに彼氏ができ、友達も元カレとやり直し、あまり遊ばなくなった。
そうすると、なぜかその友達は、共通の友達にわたしの悪口を言いはじめた。
わたしの創作に対する文句だった。


わたしはどうやら依存される人間らしい。
きっとわたしが誰に対しても仲良くなりすぎるからだと思う。

仲良くなりすぎて、相手にわたしと二人きりの世界だけで充分楽しい、と思わせてしまうんだと思う。

わたしもそうならばいい。
小学生の仲良し二人のように、お互いがそうならいい。
その子とも時が経つにつれ自然と疎遠になっていった。
そういうものが出会いと別れだと思う。

だけど、もともと依存心が強く、しかも受け身の人からすると、わたしがそうやって自然と離れていくのが寂しくて納得がいかないんだと思う。

その寂しい心はやがて憎しみに変わっていく。
わたしはまた恋愛したり創作したり新しい出会いに目を向けてしまうから、悪口を言われるまでそれに気づかない。

そこで謝ればきっとよかったのだろうけど、わたしはまだそこまで器が広くなく、単純に「めんどくさいなぁ」と思ってしまう。

男性的なのかもしれない。刹那的で、熱しやすく冷めやすい。
一時期ハマったとしても、時が経つとすっかり忘れてしまう。
執着心がない。
執着心が強い人からすると本当に冷酷にみえるのだろう。


とはいえ、今まで出会った人達で、そういう人は限られていて、程よくお互いを尊重しあえる関係がほとんど。

きっとたいていの人よりも少しだけ多く、いろんな人と出会う環境だから仕方ないんだと思う。

執着心がある人は愛情と支配の違いがわからないから、思い通りにいかない、前のように仲良くしてくれない私に対して怒りはじめる。
こんなに好きなのに、こんなに通じ合ってたのに、と。

なんでここまで掘り下げて書くかと言いますと、わたし自身そういう恋愛を経験したことがあるから。

好きで好きで毎日会いたい。
だけど、次第に相手がそうでなくなってくる。
そうすればますます追いかけ、ますます逃げられ、寂しさが狂乱に変わる。
わたしの場合は憎しみに変わることはなかったけど、ナゼナゼナゼ…が頭の中でぐるぐるしていた。

今だからわかる。
それは、愛情ではなく執着だったということ。

相手の都合や感情を尊重せず、押し付けて自滅していたということ。

押し付けは、言ってみれば自己中心的な考え。
なのに愛情の深さだと勘違いして突き進んでしまうからどうしようもない。

それから今度は、その逆、自分に執着してくれる相手と恋愛してみるけど、それはそれで有り難みを感じられない。

自己中心的な考えをあらためない限りは、どんな恋愛をしてもうまくいかない。

ようやく、相手のそのままの人格、性質、生い立ち、経験をまるまる無理なく受け入れて、その人が幸せに心地好く生きていけることを心から願って、必要ならば支え、励まし、笑わせ、時にはそっとしておく、ということができるようになった。

それはやはり、とことん自己中心的に生きてきて、そのせいで苦しんだ、自己中だから自分の首をしめていたということに気づいたから。

不満や悩みは「自分の思い通りにいかない」という自己中心的な考えからくる。

うまくいかなくて当たり前。
だって、この世は自分中心に動いているわけじゃないから。

それに気づいたら、すごく楽になれた。
なるようになる。

与えられたチャンスや恩恵や出会いを受け入れて、それを無駄にしないようにがんばるだけ。

だけど、それがうまくいかないことがあっても、それは仕方がない。当たり前。
知恵を出しても良くならない、心身がおかしくなるまで悩まない。
その手前で諦める。

世界に沿うものは残っていくし、無理矢理沿わせるものは一時期残ってもいずれ失くなる。

その見極めは、何よりも自分自身の心と体がバロメーターになってくれるんだと思う。

ダラダラと書きましたが、去年、とことん自己中に生きて、精神的にどん底まで落ちてよかったと思う。

そういう年に巡り合わせてくれたことに感謝してもしきれない。

そして、剥き出しになった欲望にユーモアというハチミツをかけて表現できたこと、それでいろんな人が楽しいと思ってくれ、いろんな人に出逢わせてくれたことも事実だから、去年はこれまでの人生で一番大切な分岐点だったと思う。

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