06/11の日記

11:42
どう感じるか。
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たとえば、つらい思いをして亡くなった人がいて、残された遺族や友達がどう思うか。

かわいそうに…
あの時ああしておけば…
きっと今もつらい思いをしてるかもしれない…

などなど。

そう思うことは自然だし、理解できる。

だけど、事実は本人にしかわからない。

死というのは、本人にしか体験できないし、体験した人が誰かに教えることもできない。

だけど、天国とか地獄とか成仏とか輪廻とか魂とかとか…人は目に見えないもの、行ったことのない世界を話す。

それは自由だし、わたしも信じるほうだけど、問題は、どう感じるか、だと思う。

わたしは、その人がつらい思いをして亡くなったとしたら、かわいそうに、ではなくて、つらさが終わってよかったね。とも思いたい。

天国へ行きますように、魂が生きているなら、その魂が安らかでありますようにって、祈りたい。

亡くなった人の人生を悪く言ったり、不幸だと考えすぎるのは、それこそ亡くなった人がかわいそうだと思う。

冥福を祈り、願う。ということは本当に大事だと思う。
亡くなった人の魂のためだけど、残された人の心と体の健康のためにも。

亡くなったあとも、あの人は不幸だったと言われるなんて、わたしだったら嫌だ。

もし不幸だったとしても、亡くなったらきっと穏やかな天国に行ってると思ってほしい。祈ってほしい。

もしも祈りや願うことにちからがあるとしたら、亡くなった人を不幸だと哀れむんじゃなく、冥福を祈るのが残された人達ができることじゃないかと思う。

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