05/14の日記

10:21
なんでもない日常の繰り返しの安心感
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昨日はまだすき焼きの材料が残ってたので、夜ご飯はまたすき焼き&エビもあったので塩ゆでしてマヨお好みソースでディップした。シャケのアラも消費期限1日過ぎてたのでみそ汁に入れて海鮮汁。
みそ汁に魚を入れるとどうしてこんなに贅沢な感じになるんだろう。

彼と食し、仕事の話になる。
彼は障がい者支援施設で働いてるんだけど、毎朝おもしろい出来事があると話してくれた。

朝礼で伝達事項を職員が順番に言うらしいけど、彼が「特にありません」と言うと、必ずある仲間(この施設では利用者のことを仲間と呼ぶらしい)の一人が嬉しそうに笑うらしい。
普通にしゃべってるのに毎回笑うという。

最近では彼が言葉を発する前から、笑いをこらえた顔で期待の眼差しを向けて待ってるらしい。

なんか可愛いくておもしろい話。
彼も不思議そうに楽しそうに話すので、わたしもつられて笑う。

そういう話から発展して、その人の一日の楽しみとか日課になってるんじゃないか、人それぞれそういうのがあるんじゃないか、という話になった。

そう思って振り返ってみると、たしかに、細々といろいろある。

わたしは仕事から家に帰ったらまず窓を開けて空気の入れ換えをする。そのあとインド香を焚いて、音楽を流しながら部屋を片付けて、それが終わると洗濯あるときは洗濯機まわして、夕食づくりにとりかかる。

当たり前のようにぽんぽんとしてるけど、結構これが自分にはまってるというか、ひとつひとつの行動が日課になってるし、それをしたことで充実感みたいなものがあることに気づいた。

彼の発言を毎朝笑うその人も、彼の発言を聞くこと、それを聞いて笑うことが一日の日課なんだと思う。

なんだかユニークで楽しい。

ひとりの人間がそれぞれ毎日を生きてる。自分も意識してないくらい些細なことをひそかに楽しみにしたり充実感にしたりしながら。
そうやってそれぞれが今日も生きてることの楽しさ、繰り返すことの安心感、有り難さ。

なんでもない日常こそ人間らしくていい。
そんなふうに思いましたとさ。

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