01/10の日記

14:43
★鎧と鏡と望み
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ある記事を読んで、わたしとしてすごく納得出来る内容だったので、その内容とわたしの感じた事を書いてみようと思います。

人が誰かを嫌ったり、反発するのは、その嫌な部分は自分自身が無意識に隠してる、自分が一番嫌いな自分と重なるからだという。

例えばわたしの場合は、威張ってる男の人と、従ってる女の人が嫌いです。

けど、これが自分が必死に隠そうとしてる一番嫌いな自分なのかもしれないと、置き換えてみたら…そうかもしれない!!て思った。

人間は父親と母親の遺伝子を受け継いで生まれてくるわけで、顔や性格が父親似、母親似、とどちらか一方に多く似てると考えがちだけど、ほんとはそんなことなくて、ちゃんと両親の遺伝子を継いでるんだと思う。

けど、育てられてくうちに、どちらかに愛されなかったという記憶があるとしたら、それは些細なことであっても子供にとってはすごく深い傷になる。
次第にその傷を守るために自己防衛本能が働いて、自分を愛してくれないと判断した相手に対して、今度は嫌悪感を抱いて、憎悪になる。

本当は心の底では愛されたくて愛されたくてたまらないのに、求めて拒絶されてまた傷つくのが怖いから、それならこっちから嫌ってしまえ!攻撃してしまえ!

となってしまう。

けど、実は、自分の親を嫌うことは、自分の中にある親からついだ性質も嫌うことになってしまう。

つまりは、自分のことを否定、攻撃することと同じ。

こんな感じの文章を読んで、なるほどなぁって思った。

わたしは母親が好きで、自分は母親に似てると思うし思いたい。
その一方で父親の威張った態度に従ってる母親は嫌いで、もちろん、威張ってる父親はもっと嫌いだった。

けど、おそらく、どんなにあがいても、父親の威張ってしまう性格と、母親の従ってる性格は、わたしの性格の一部でもあるんだって気づいた。

わたしは、両親の性格を否定してるようで、実は自分の中のその性格を否定してたんだと思ったわけです。

自分のことは好きだと思ってたけど、実は威張ってしまう部分、従ってしまう部分が嫌いだったんだなって。

そのことがわかって、また初めて自分に会えた気がして、嫌いな部分も含めて、自分をほんとに愛せるような気がした◎

まさしく、「人は自分の鏡」なんだなって。


自分の嫌な部分と向き合うのはつらい。だからみんなそれを隠すために鎧を身につけてる。

けど、きっと誰にも裸の自分を見せずに鎧を着て一生を終えるとしたら、きっとその人は窒息死してしまうと思う。

だから、ほんとは誰かひとりの前でもいいから鎧を脱ぎたい。
一番弱い自分をさらけ出して、誰かに知っていてほしい。

鎧には色んな種類があって、いつも明るい顔の鎧、いつも怖い顔の鎧、いつも威張ってる鎧…

わたしは、いつも笑顔で誰に対しても優しい人の心の奥に、すごく暗い闇があるのを知ってる。

けど、その闇があるからこそ、その人はいつも明るくいたいって努力できる人になれてるんだと思う。

わたしは、そうやって闇を抱えながらも良くなろうと頑張ってる人を愛しく思う。



長々書きましたが、最後は「望み」ね◎

わたしはこれまで色んな人達と出会って仲良くなれる機会をもらってきました。

その中で、精神的な病を持ってる人とも多く出会っても来ました。

長い付き合いの友達に
「なんで高さんはそういう人達を引き寄せるんかね」と言われて、あらためてゆっくり考えてみました。

それで出た結果、わたしが出会うことを望んでるんだってことだった。

どうしてそんなにつらい気持ちになってしまったのか、何がそうさせたのか、なぜそんな行動をするのか…

「わたしには理解できない」
て言ってしまえば簡単だけど、わたしはどうしてもそうはしたくないっていう「望み」があるんだと思う。

へんな望みだと思うかもしれないけど、自分と正反対の人生を送ってきたひと、もしくは、自分の中にも潜んでるコンプレックスや傷を持ってる人の気持ちを理解したい、って望んでるんだと気づいた。

色んな人に出会いたい。

その望みがわたしを動かして、引き寄せてるんだと思う。

だから、特別に精神的病を抱えてる人だけを引き寄せてるのではなくて、色んな人を引き寄せてるってだけなのかも。

それは多分、最終的には自分自身が何者でどんな役割を持って生まれてきたか、自分が出来ることはなにかを知りたいから。
探して、知って、もっと自分をすべてを愛したいから。

愛したいていう望み。

けど、そのためにはもっと自分がありのままにならなきゃと思う。

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