上杉家
□冬は永いか
2ページ/2ページ
その日、昼から雨が降っていた。冷たい雨だった。
夕暮れ刻、雨は雪に変わっていた。
景虎の部屋に扇を忘れたと、嬉々として取りに行こうとした景勝を止め、与六が代わりに行った。
「―景虎様」
部屋の前の障子越しに名を呼びかけるが、返事が返ってこない。
声で誰だかわかり居留守を使っているのか…。
「景虎様、与六です。失礼します」
障子を開けるが、そこに人の気配はなかった。
「?」
大分前からいないのか、火鉢に火の気はなく、部屋の中なのに吐く息が白くなった。
懐刀と手入れの道具が置き去りにされている。しかし、よく見ると刀には血がついており、床の上にも所々血の滴った痕があった。
一旦部屋から出ると、廊下にも血の痕が残されていた。それを辿っていくと、途中で消えていた。
与六は、雪が降っているのも省みず庭に下りた。
屋敷の周りはほとんど自然のままで、夏のように雑草が生い茂っているわけではないが、木と木の間を通っていくのは大変なことだった。
果たして景虎はいた。雪が舞い散る空を見上げて背筋を伸ばして立っていた。羽織も着ていなく裸足で。
押さえた手から血が滴っている。
ドクンッと心臓が鳴った。
「か、景虎様!!」
叫ぶのと同時に腕を伸ばし、肩を強く掴んでいた。
景虎はビクッと震えた。
「与六…」
無理矢理部屋へつれて帰り、侍女に湯を持ってこさせ、足を洗い怪我の手当てをした。
掌がばっさりと切れていた。
景虎は、刀の手入れをしていて、誤って切ったという。
「最初は止血しようと、手ぬぐいをあてがってたのだが、なかなか止まらなくてな。流れ出る様が面白くて、でもここでは部屋を汚してしまうと思って」
だから外に行ったのだと。
「この寒い時に何馬鹿なことをやってるのですか!?凍傷を起こしてしまいますよ」
与六は冷えた手や足をさすってやりながら怒鳴りつけた。
「―雪を見ていた。暗い空からきらきらと星が降ってくるようで綺麗だった」
相変わらず無表情で答える。
「……」
幼い童のようだった。
「越後はこれから雪に閉ざされます。木々も大地も凍り、生き物達は土の中にもぐり春まで眠る…」
「私も凍ってしまえたらよかったな。心も体も凍ってしまえば楽になれるのに。―そうだ、ここへ来るまでは楽だった。お主が景勝を大事にして、義父上が景勝を慈しんで、景勝が私に甘えてくる。それが苦しくなる」
「―私は、景勝様が愛しい。それが貴殿を苦しめているとしたら、私は貴殿を救えません。だって、突然やってきたのに、謙信公や景勝様に好かれるのは憎く思います」
「別にいい。好かれようなどとは思っていない。だから、私にかまうな」
「そうですね。私は貴殿が死んでも泣かないでしょう」
「っ……」
「おかしいですね。何故そんな傷ついたような顔をするんです?先に憎いと言ったはずです」
景虎は掴まれていた手を乱暴に払った。
紅い唇を噛み締め、鋭く睨みつけてくる涼しげな瞳は揺れていた。人を拒絶する態度に、噛み付かれても引っかかれてもいいからその体に触れてみたいと思ってしまう。
「景勝様の扇を取りに来ただけです。もう行かなくては…」
「そこの飾り棚の上にある」
妖しい微笑を浮かべて人差し指で指差した。どうやら、与六が来た理由を知っていたようだ。
与六は赤面すると、扇を取って、部屋を出て行く。
「与六、冬は永いか?」
ふと足を止め、肩越しに振り返った。
「?―えぇ」
「そうか。―すまなかったな怪我の手当てをさせて」
掌を見せられると晒しから赤い色が透けていた。
「その手、外気に曝さないほうがいいですよ。痛みますから」
のまれそうになるのを耐えて、そう告げ、部屋から遠のいた。
ここへ来てはいけないような胸騒ぎがした。先程より強い降りとなった雪を眺め、震える肩を抱いた―。
終
炎のミラージュでもなく大河でもない上杉家です。
朱華の中で勝手な妄想が出来上がっているのですが、わかっていただけますでしょうか?
ちょっと、ドキドキ…。
物語の中にありましたが、与六は、最初長尾政景の方に小姓として仕えてまして、そのあまりにも可愛らしさに、謙信公が自分の小姓に寄越せと命令しました。それを無視されたがため、家臣に殺させます。奪った与六を小姓にしますが、景虎が来たため、景勝に下げ渡しました。という前提です。ちなみに与六は景勝に惚れてます。