たけだ家・血と絆

□血と絆―地殻編―
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−諏訪交略後、甲斐への帰路、夜営をとった。


 晴信公がお屋形様となり初めての戦だった。信繁は、父が手を焼いた諏訪を降伏させた兄の手腕に興奮していた。
 この戦で初陣した駒三郎は、首級をあげ、父の秋山信任も喜び勇んでいた。



 信繁は、秋山軍が夜営している場所へ行くと、天幕から少し離れた所で刀を研いでいる駒三郎を見つけた。

「駒三郎」
 後姿に声をかけると手を止め振り向いた。

「よぉ、信繁。お前のも研いでやろうか?」
 にこやかに笑みを浮かべる。
 刀を手ぬぐいでぬぐい自慢げに見せた。
悪くない研ぎ具合だ生来器用なのだろう。

「私のはいい。刃をつぶされたくないからな」
 笑って言った。
「ちぇ、自信あったんだけどな」
 揶揄されたとも知らず、自分の技をけなされたと取り、唇を尖らせた。そして、どこが悪いか刃を眺めた。

「冗談だ。私の刀はお屋形様が連れてきた研ぎ師に渡してある」
 武士は研ぎ石を持参し、長時間にも及ぶ戦闘の時には自分で研ぎながら戦うものだが、職人も連れてきていた。

「そうか」
 駒三郎は納得した。

「お主の研ぎ、見事だ」
 奪い取った刀を垂直にして見た。
「まだまだ荒っぽいが、十分斬れるだろう」
 素直に褒めると頬を染めた。

「甲斐に戻ったら元服だってな。お父上が騒いでたぞ」
「あぁ。大手柄だなんて自分のことみたいにはしゃいでいた。俺のほうが恥ずかしいよ」
 だが、嬉しそうな表情をする。親が自分を褒めてくれるのに悪い気はしない。

「幸せだな」
 駒三郎が微笑ったのに、さびしげだった。信繁は、父に褒められても嬉しくなかった。それは、父に褒められるほど、居心地が悪くなっていったせいだ。あの時、父と兄の不仲は周知の事実で、父は自分に家督を譲るとまで言っていた。しかし、信繁は兄が統治する国を見たかった。自分では及ばぬ技量を兄に見ていた。


 と、そのとき、殺気を感じた。
 小枝が折れる音にはっとした瞬間、影が動き甲高い金属音が響いた。信繁の目前で駒三郎と大男の刀が鍔迫り合いになっていた。髭を伸ばし、黒々とした乱れた髪の男は、諏訪方の武士なのだろうか?


(狙いは私か?それとも?)


「小童め!」

 考えている信繁の所へ鍔迫り合いになっていた駒三郎が勢いよく弾き飛ばされてきて、ぶつかり倒れこんだ。

「大丈夫か?」
 慌てて抱き起こされ、首でうなずいた。とっさに駒三郎にかばわれたようだ。あまり痛くない。

「かたじけない」
 地面を手で押して立ち上がる。


「私は武田信虎が一子、左馬介信繁だ。もし、武田軍に恨みがあるなら、私が相手になる」
 すばやく刀を抜き、相手のほうへ刃を向け、構えた。

「お方様の兄君か。まだ若いな」
 『お方様』とは、禰々のことだろう。やはり、諏訪方の武士だと分かった。

「たあぁー!」

 大男が刀を振りかぶり、襲ってきた。

「我が友の仇!」
 それが振り下ろされた先は駒三郎のほうだった。

「駒三郎ぉ!」

「くっ…」
 再び刀で受け止めた。

「やぁっ!」
 左横から男に斬りかかった。
 瞬時、駒三郎は弾き飛ばされ、信繁の首を強い力が圧迫した。男の左手が食い込んでいる。

「ぐっ…」
 息がつまり、その手に必死につめを立てるが、それも微弱なものだったかもしれない。
 宙に浮いた足をばたつかせるが、ものともしない。

「信繁ぇ!」
 体勢を立て直し、刀で突き入れるが、なぎ払われ腹部から血しぶきが飛んだ。

「ぐはっ…」
 地面にどっと倒れこむ。

「こ…ば…」
 横目でそれが見え、名を呼ぼうとするが言葉にはならない。歯がゆさに、地面に爪を立てた。

「っ…」
 駒三郎の指がピクッと動き、顔をかすかに上げた。

 と、その時、ザッと、影が動き男に体当たりした。

 宙に投げ出され、背中を強く打った。男の断末魔の声を聞いて即座に上体を起こすと、馬乗りになった郎党風の者が男の胸を一突きしたところだった。

「ゴホッ、げほっ!」

 新鮮な空気が一気に肺に入り込んできたためむせた。

「信繁様、申し訳ありませぬ。乱暴な助け方で」
 男が駆け寄ってきて腕や足をさする。骨折していないかを調べてるのだ。そして、先ほどは暗がりで分からなかったが、近くで見るとその男が誰か判別が付いた。
 どこも折れてないのに安堵した男は、秋山家の郎党で、名は角太郎といった。昔から秋山家へ行き来していた信繁には馴染みの顔だった。

「私より駒三郎は!?」
 駆け寄り傷を見た。腰腹部を一文字に斬られ、血で真っ赤に染まっていた。

「若旦那様!?」

「角太郎か?」
 声に反応し、うっすらと目を開けた。意識はある。

 角太郎は、すばやく傷口をさらしで縛り応急処置をした。そしてすぐ、膝下と背中に腕を入れ、抱えあげた。

「駒三郎、死ぬな、死ぬなよ!」
 泣き叫ばんばかりの信繁にうっすら微笑みを向けられた。
「信繁…、良かった…無事だな」

「馬鹿!お主が無事じゃないじゃないかっ」
 皺になるほど着物を握り締めると、痛みのためか意識を手放し角太郎に身を預けた。
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