たけだ家・血と絆

□血と絆ー1541年ー
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 武田晴信は、父、信虎を追放した―



『―今日から兄上のことをお屋形様と呼ぼう』
 高台から甲斐の国を一望し、信繁が呟いた。
『どうしてですか?』
 孫六は無邪気な表情で兄の顔をうかがった。

『兄上は、これから大きなものを背負っていくから。我々とは違う立場になるから』

 そういった信繁の瞳は決死の覚悟があるようだった。



 ―甲斐に雪の季節がやってきた。広げた掌に落ち、スッと消えた。


「孫六ぅ、外は冷えるだろ、風邪ひくぞぉ」
 廊下を歩いてきた兄、晴信に中庭で空を見上げていた孫六は声をかけられた。

「大丈夫ですよ。昔より身体は丈夫になりましたから」
 うっすら微笑む。
 生まれたばかりの頃は、身体が小さく虚弱児だったため、父に疎んじられた。

「―でも、お屋形様が心配なさるなら、部屋に入ります」
 そう言って晴信に近づいていった。

「二人のときは兄と呼べ」

「―では、兄者、どうぞ、何のおもてなしもできませぬが」
 しばらく考えた後、障子を開け、中へ促す。
 二人はにこやかに笑った。

「―何か、兄者でも解けぬ難題でもあったのですか?」
 半分は冗談に。
 兄の側には、智将の板垣信方も賢い次兄の信繁もいる。まだ、十三歳の自分に、兄にも解けぬ難題を持ってくるはずがない。

「―あの件以来、信繁が『兄』と呼ばなくなった。嫌われてしまったのだろううか?」
 哀しそうな顔をする。
 『あの件』は、父を追放したことだ。


「……」
 孫六は俯いた。
 信繁が言った意味をすべて理解したわけじゃない。
「信繁兄上は兄者のことが大好きなんです!」
 それだけははっきりいえる。
 あの時、信繁は自ら命を絶とうとした。甲斐が二分して争いが起こらぬように。


「―平和に父と和解するのがあ奴の願いだったのではないか?」
 兄の顔はいつになく神妙だった。
「それでも信繁兄上は、晴信兄者を選んだのでしょう?」
「お主は、父を奪ったわしを憎いとは思わぬのか?」
「私が父に疎まれていたのはご存知でしょう?」
 明るく言った。別に父に対してなんの感情もない。

「私は、兄者のことが大好きです」
 にこりと微笑むと、ギュッと抱きしめられた。
 母の柔らかなそれと違う硬い胸に押し付けられ、それでも心地よかった。

「信繁兄上に話したらどうです?」
 なんなら私から話しましょうかと。

「信繁は堅物だからなこうと決めたら絶対ひかぬ」
「そうですね。―でも、厳しくて心優しい信繁兄上を疑うなど哀しいことはなさらないで下さい」
 誰にも代えがたい心強い味方だから。

「私は、信繁を失うことなどできぬ」
 晴信はこれまで見せたことのない真っ直ぐな瞳をしていた。

 兄があの時瞳の奥に映していたものは…?


「きっと兄上も同じ想いです」
「そうだといいな」
 晴信はほんのり笑う。




 親子兄弟で争う時代に信繁は…







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