豊臣家の一族
□兄と弟
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松平元康と今川義元の姪との間に生まれた信康は弟が欲しいと思い続けていた。
その願いは、ある日叶えられた。
「あに…うえ…」
まだあどけない幼子が自分を見上げ、たどたどしく呼んだ。十五年下の弟は、この時、二歳だった。
*
「作左、その幼子はお主の子か?」
本多作左衛門には、今年三つの嫡男がいるのを知っている。
戦場に出ればいくつもの敵の首級を挙げ、鬼作左と異名をもつこの男も年老いてからできた子を溺愛していた。
信康の問いにおもむろに首を横に振って否定した。
「実は、信康様に相談に乗っていただきたいことが…。きっと、聡明かつ正義感あふれる信康様なら解決策を出していただけるかと思いまして」
信康はおだてられているとわかっているが、自分を頼りにしている点は悪い気がしない。
「話を聞こうか」
慇懃に先を促す。
「−では、この幼子は、俺の弟か!?それを父上が認めぬというのか…?」
よくみれば幼いけれど、凛とした目元、引き締まった口。父親の面影があった。
母の悋気を恐れて隠していたとするならば、なんと情けないことか。
「不憫な…」
急にこの幼子がいとおしくなった。
「わかった。このこと、俺が何とかしよう」
そう、胸を叩いた。
*
「−父上、私は以前より、弟が欲しいと思っておりました。そのことで何か隠しておられる事はございませぬか?」
浜松城から、元康を岡崎城へ呼び寄せ、尋ねた。
「はて?」
元康は、何のことかわからぬというように小首をかしげた。
と、その時−、
「ち、ち…え、ち…うえ」
障子の外側から、幼くたどたどしい声が聞こえた。
元康は、信康の無言の圧迫に耐えかね、幼子の影が映る障子を開けた。
障子が開いたため、支えをなくし、つんのめりそうになるのを元康が抱きとめることとなる。
「父上、その子の名前を呼んであげてください。父上が名づけたのでしょう?」
「義伊といったかな…」
作左に男児が生まれたことを告げられ、適当につけた名だ。今、このように、信康に責められねば一生口にせぬ名だった。
「お義伊、わしが父上だ。わかるか?」
元康は、お義伊を抱き上げ、言い聞かすように行った。
お義伊は、小首をかしげ、自分を抱く手を握った。その温もりに、作左の策にまんまとはめられた自分を忌々しく思った。
*
弟がいたら馬の乗り方、刀や弓の使い方、色々なことを教えよう。
俺は大きくなってしまったから、昼寝はしないけど、その隣で御伽噺を聞かせながら、自分もうたた寝するだろう…。